奨学金で大学進学、返済が「自信」に繋がる
そして、木村さんはこう続ける。
「奨学金を借りて、かつ返せているという事実は、僕の中で大きな自信になっています。大学に行ったのも自分の意志ですし、周りの人に助けてもらいながらではあるけど、自分のお金で行ったことも自信に繋がっている。だから、今の奨学金制度を作ってくれた、日本という国に感謝をしています。なにかと批判されがちな奨学金制度だけど、僕みたいな人間もいることを、高校生には知ってほしい。
もちろん、途中でケガや病気などで働けなくなる事情は誰にでも起こり得るということを考えると、奨学金を借りることそのものにネガティブな印象を持つ人が多いことも理解できます。だから、一概に良し悪しを言うことは難しいんですけどね」
まっすぐな目で、そう語る木村さん。貧困DV家庭の生まれでありながら、人生を好転させてくれるきっかけとなった奨学金のシステムに、深く感謝しているようだ。
しかし、その一方で、「奨学金の本来あるべき形」として理想とされる、返済不要の「給付型」を増やすことには疑問があるという。
「大学院の時に、企業から56万円×2年間、合計100万円強の給付型奨学金をもらったことがあります。一定の収入以下の大学院生1名の枠に、僕を含めて3名の該当者がいたのですが、その中から僕が選ばれた。
なぜ、僕だったのか?
気になったので教授に聞いてみたところ、最終的に『学部の時の成績が一番上だったから』ということで、選ばれたそうです。
成績が良い人が選ばれるというのは、一見公平のように思えますが、突き詰めると『勉強がしやすい環境にいる人が有利』ということになるんです。例えば世帯年収400万円の家庭と100万円の家庭では、生活にまだ余裕のある前者の家の子のほうが有利になりますよね。後者の家庭の子は生きていくことで精いっぱいで、勉強は二の次にならざるを得ない。
そういう現実もあることを考えると、とにかく給付型を増やすことが必ずしもいいことだとは、僕には思えないんです。むしろ、全員に機会があるという意味では、貸与型のほうが公平である面もあると思います」
時に暗く、重い話をするときも、常に木村さんは明るい口調だった。そんな人柄が幸運を引き寄せてきたのだろうが、「自分は返せたから他の人も返せるはず」という、ある種の生存者バイアスに支配されることなく、客観性を保ちながら、かつての自身のような貧困家庭に生きる子どもたちのことを考えている印象だ。
どれほどの人が彼ほど力強く、攻めの姿勢を貫きながら、なおかつ周囲への配慮も持って生きられるかはわからないが、貧困家庭で暮らす高校生は、彼の体験談を参考にしてみてほしい。
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