以上のように給与の数字を並べれば、「人間の幸せは所得で決まるわけではない」との反論があるだろう。
そのとおりだ。「人はパンのみにて生きるにあらず」とは、2000年以上にわたって、(キリスト教徒以外の人々も含めて)人類が認めてきたことだ。所得がなくても心が豊かである人は大勢いる。
しかし、だからといって、社会全体として所得が重要であることを否定するわけにはいかない。
一定の所得は、社会全体が幸せになるための十分条件ではないが、間違いなく必要条件だ。
所得再分配政策を行うにしても、元手がなければ皆が貧しくなるしかない。
1970年代に逆戻りした日本
私が1960年代の終わりにアメリカに留学したとき、その豊かさに圧倒された。それと同じような状況が、いま再現されつつあるようだ。
これは、平均賃金や1人当たりGDPを見ていては、なかなかわかりにくい。
私たちの世代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた時代を経験している。だから、いまの状況はおかしいと感じている。
しかし、時間が経てば、この状態が当たり前だと思う人が増えてしまうかもしれない。
そのようなあきらめムードは、すでに広がりつつあるように思われる。
上のような数字を見ていると、「アメリカと同じように豊かになることなど、逆立ちしてもできるはずはない」と、誰もがあきらめたくなる。
そうしたあきらめが恐ろしい。そして、「人はパンのみにて生きるにあらず」が、それを正当化する安易な論理として使われることが、もっと恐ろしい。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら