日本を惑わす「そう見えるでしょう経済学」の盲点 「財政出動で経済は必ず成長する」には根拠なし
この一連の理論は、素晴らしく整理されていると思います(もちろん皮肉です)。彼らが言わんとしていることは、個人の努力などは一切不要で、責任の所在は政府だけにあり、政府が支出を増やしさえすれば経済成長は保証されるので、構造改革も不必要ということです。彼らは、おまけに「人口減少・高齢化問題」も存在しないと主張しています。
「そう見えるでしょう経済学」の大きすぎる盲点
もし仮にこの説が事実ならば、どこの国の政府も経済政策には一切苦労しませんし、不況になることもないでしょう。バラ色の世界が訪れるはずで、この説を考えた人は「人類を救った偉人」として、永久に歴史にその名を刻むことになるでしょう。
しかし、こんな都合のいいシナリオは、現実にありうるでしょうか。
私は、このような「分析」を、「そう見えるでしょう経済学」と呼んでいます。1つの相関関係を見つけて恣意的に図表を作り、「ね、そう見えるでしょう!」と人を説得するやり方です。
確かに、何も考えずに先のグラフだけを見れば、多くの人はその主張を信じるかもしれません。また、可処分所得が減っている人にとっては、理解もしやすいうえ、希望の光のように映るかもしれません。
しかし、この主張には大きな問題があります。それは、この図表が表しているのが、ただの相関関係だけだということです。
我々アナリストは、このように複数の異なる指標の間にここまで強い相関関係を発見したとしても、そこで安易に結論を下して仕事を終えることはありません。なぜならば、このような発見は、分析作業の始まりでしかないからです。
アナリストの場合、このような強い相関関係を発見した場合、まずデータ自体を疑います。データ量は十分かどうか、恣意的なデータ選別になっていないかを確認します。
次に、因果関係を追求します。相関関係は偶然なのか。反証はできるか。
さらに因果の方向性を確認します。例えば、雨が降っているから傘をさす人が多いのか、多くの人が傘をさしているから雨が降っているのか。この例の場合、言うまでもなく前者が正しいです。当然、仮に一部の人が傘をさしていないからといって、雨が降っていないという結論にはなりません。
これらの作業の過程で、世界中で発表されている論文を検証し、学者のコンセンサスも探ります。
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