「最強」毒グモの母が迎える最期はどこまでも尊い カバキコマチグモは産んだわが子にその身を捧ぐ
歩き回れるようになった赤ちゃんグモが、最初にすることは何だろう。そして、このとき母グモは、何をするだろう。
あろうことか、赤ちゃんグモたちは、一斉に母親に食らいつき始める。そして、母親の体液を吸い始めるのである。
母親からミルクをもらうわけではない。母親の体液を吸い始めるのだ。
驚くべきことに、母親は逃げようともせずに、赤ちゃんグモたちがやるに任せて、体液を吸わせている。
母グモは、けっして動けないわけではない。逃げられないわけでもない。
その証拠に、人間が巣を調べようとすると、母グモは威嚇(いかく)して、敵を追い払おうとするようすが観察されている。
母グモは、体液を吸われながらも、わが子を守ろうとするのである。
この日のために母グモは卵を守り続けてきた
この日こそ、母グモにとっては、記念すべき日であった。そして、この日のために、母グモは卵を守り続けてきたのだ。
生まれたばかりの赤ちゃんグモたちの食欲は、旺盛(おうせい)である。
半日もすれば、母親の体液は子どもたちに吸い尽くされて、母親はすっかり抜け殻のような姿になってしまう。そして、栄養をたっぷり蓄えた子どもたちは、次々に巣の外へと独り立ちしていくのだ。
カバキコマチグモの赤ちゃんたちが生まれた日は、母親にとって最期の日となる。
親のない命はない。
すべての命には親がある。そして、親というものは、子どもに命を託していくのだ。
こうして命はつながっていく。そして、この子どもたちの中のメスも、やがて、母親のように生き、母親のように死んでいく日が来るのだろう。
カバキコマチグモの母の姿に、私は、ある女性の残した短歌を思い出した。
乳がんのために、31歳の若さで2男1女の子を残して亡くなった中城(なかじょう)ふみ子(1922─1954)の歌である。
母親というものは、壮絶な存在なのだ。
前回:卵泥棒と蔑まれた恐竜は決死で子を守る親だった(2月10日配信)
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