「最強」毒グモの母が迎える最期はどこまでも尊い カバキコマチグモは産んだわが子にその身を捧ぐ

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歩き回れるようになった赤ちゃんグモが、最初にすることは何だろう。そして、このとき母グモは、何をするだろう。

あろうことか、赤ちゃんグモたちは、一斉に母親に食らいつき始める。そして、母親の体液を吸い始めるのである。

母親からミルクをもらうわけではない。母親の体液を吸い始めるのだ。

驚くべきことに、母親は逃げようともせずに、赤ちゃんグモたちがやるに任せて、体液を吸わせている。

母グモは、けっして動けないわけではない。逃げられないわけでもない。

その証拠に、人間が巣を調べようとすると、母グモは威嚇(いかく)して、敵を追い払おうとするようすが観察されている。

母グモは、体液を吸われながらも、わが子を守ろうとするのである。

この日のために母グモは卵を守り続けてきた

この日こそ、母グモにとっては、記念すべき日であった。そして、この日のために、母グモは卵を守り続けてきたのだ。

生まれたばかりの赤ちゃんグモたちの食欲は、旺盛(おうせい)である。

『文庫 生き物の死にざま はかない命の物語』(草思社文庫)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

半日もすれば、母親の体液は子どもたちに吸い尽くされて、母親はすっかり抜け殻のような姿になってしまう。そして、栄養をたっぷり蓄えた子どもたちは、次々に巣の外へと独り立ちしていくのだ。

カバキコマチグモの赤ちゃんたちが生まれた日は、母親にとって最期の日となる。

親のない命はない。

すべての命には親がある。そして、親というものは、子どもに命を託していくのだ。

こうして命はつながっていく。そして、この子どもたちの中のメスも、やがて、母親のように生き、母親のように死んでいく日が来るのだろう。

カバキコマチグモの母の姿に、私は、ある女性の残した短歌を思い出した。

遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ ――『花の原型』

乳がんのために、31歳の若さで2男1女の子を残して亡くなった中城(なかじょう)ふみ子(1922─1954)の歌である。

母親というものは、壮絶な存在なのだ。

前回:卵泥棒と蔑まれた恐竜は決死で子を守る親だった(2月10日配信)

稲垣 栄洋 静岡大学農学部教授

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いながき ひでひろ / Hidehiro Inagaki

1968年静岡市生まれ。岡山大学大学院修了。専門は雑草生態学。農学博士。自称、みちくさ研究家。農林水産省、静岡県農林技術研究所などを経て、現在、静岡大学大学院教授。『身近な雑草の愉快な生きかた』(ちくま文庫)、『都会の雑草、発見と楽しみ方』 (朝日新書)、『雑草に学ぶ「ルデラル」な生き方』(亜紀書房)など著書50冊以上。

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