14の精神疾患と闘ってきた47歳彼女の壮絶な半生 ライター歴24年、初めての単行本に込めた願い

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その疑問はずっと後になって、瀧本さんが20歳を越えてから判明したという。

「知り合いと血液型占いの話をしてたんです。そうしたら知り合いが、

『お前の両親の血液型からは、お前の血液型は産まれないぞ』

って言ってきたんです。それで、自分が両親の子供でないということがわかりました。追求してないので、どちらの子供なのかは知りません。ただ、

『そういうことだったのか!』

と謎がとけてスッキリしました」

中学に入学すると、ほとんど家には帰らなくなった。少し事情がある子らが集まる家に行ってたむろしていた。

ただ、中学3年生になって、クラスに仲の良い友だちができてからはきちんと家に帰り、学校に通うようになった。

「この頃からぼんやりとライターになりたいと考えてました。その頃は、バンドのユニコーンが好きで、いつか音楽雑誌で取材したいと思ってました」

そして高校へ進学した。

「名前さえ書ければ合格するようなレベルの高校でした。中学まではろくな人生じゃなかったので、

『高校で青春取り戻したろう!!』

と思いました。毎日学校に行って、彼氏もつくって、軽音部に入って、仲の良い子とキャアキャアやっている楽しい日々でした」

編集プロダクションに進む

高校卒業後はライターを目指すためにジャーナリスト専門学校に入りたかったが、母親が許してくれなかった。

高校時代はバイトをして稼いだお金を貯めていたが、それでは学費に足りなかった。

「夢を諦めかけてたんですけど、求人募集を見ていたら小さい編集プロダクションがスタッフを募集しているのを見つけました」

大阪の普通のマンションの一室にその編集プロダクションはあった。情報雑誌の記事を作っている会社だった。

瀧本さんは街ネタ、モノネタ、グルメ取材……など、実際に街で取材して記事を書いた。

「すごく楽しかったですね。自分で書いた記事が雑誌に載って、自分の名前がクレジットされた時の喜びは今も忘れられません。

すごく仕事は楽しかったけど、その代わり労働条件はかなりブラックでした。労働時間はとても長いのに、月8万円程度しか給料はもらえませんでした。しかもそれが払われないこともありました」

しばらくして多少労働条件の良い編集プロダクションに移籍した。そしてその後、編集経験もしてみたいと思い、大手情報誌にアルバイトとして入社した。

はたから見たら順調にステップアップしていったように見えるが、それが挫折のはじまりだった。

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