戦後の静岡で多くの「冤罪」が発生したのはなぜか 強引な尋問「袴田事件は起こるべくして起きた」
『撃てない警官』など多くの警察小説で知られる作家、安東能明さんの最新作『蚕の王』(中央公論新社)は、戦後の静岡県で起こった冤罪事件をモデルとした小説だ。
静岡で冤罪というと「袴田事件」(1966年)を思い浮かべるかもしれないが、小説で描かれるのはその10年以上前に起きた「二俣事件」(1950年)という一家4人殺害事件。静岡ではその直前にも「幸浦事件」(1948年)という一家4人殺しが起きている。両事件では、被告人に死刑が言い渡されたものの、のちに逆転無罪が確定した。
戦後の静岡県で多くの冤罪が発生したのはなぜか、安東さんに聞いた。
「元刑事の手記」がきっかけに
二俣事件は、1950年1月、静岡県二俣町(現・浜松市天竜区)で、一家4人が殺害された事件。まもなく、逮捕され、強盗殺人などで起訴された少年は裁判で無実を主張したが、1、2審とも死刑判決。1953年最高裁は、これを破棄。差し戻し審で、静岡地裁が無罪判決、東京高裁は検察の控訴を棄却して、検察が上告しなかったため、少年の無罪が確定した。死刑判決が覆って無罪が確定した日本で初めての事件となった。
――警察を舞台とする小説を多く発表されてきた安東さんが今回は、冤罪事件、とりわけ、ご自身の出身地で起きた「二俣事件」を題材とした作品をお書きになった動機は何でしょうか。
父が、事件発生の翌日、たまたま事件現場の近くを通りかかったそうです。血なまぐさいにおいがして、人だかりができていたので聞いてみると、「一家4人が殺された」というのでびっくりして、しかも、犯人がまだ見つかっていないというので、怖くなって慌てて家に帰って震えていた、といった話をよく聞かされて育ちました。
私は18歳まで二俣町に住んでいました。高校も二俣の学校に通いました。そんなことから、いずれはこの事件のことを文章にまとめる日が来るかもしれないと思っていました。実際に書こうと思ったのは、3、4年前、お墓参りの帰りに、事件現場のはす向かいにある文具店に立ち寄ったところ、そこにいた旧友の兄から、二俣事件の捜査に加わった元刑事の手記を見せられたことがきっかけでした。