戦後の静岡で多くの「冤罪」が発生したのはなぜか 強引な尋問「袴田事件は起こるべくして起きた」

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その元刑事は、拷問によって少年を犯人に仕立て上げようとするリーダー格の刑事のやり方に義憤を感じて、新聞に少年の無実を訴える記事を書いたり 、証人として法廷にも立って無罪を主張したりした、勇気ある人物です。

しかし、その元刑事が手記のなかで、ある人を真犯人と名指ししている部分に疑問を感じました。この手記はさまざまなメディアで取り上げられていて、新たな冤罪を生んでいるのではないかと思ったのです。

優秀な刑事が「昭和の拷問王」へ

ーーこの作品では、拷問を含む強引な捜査で知られ「昭和の拷問王」とも呼ばれた、紅林麻雄氏という実在の刑事をモデルにした刑事が、重要な役割を果たしています。このような刑事が生まれた背景にはどのような事情があったのでしょうか。

安東さん(2022年1月6日撮影)

もともと優秀な刑事ではあったのですが、1941年から1942年にかけて浜松地方で9人が殺され6人が重傷を負った『浜松事件』という連続殺傷事件を契機に変わってしまいました。

この刑事は、犯人が自分の家族を殺傷した第3の事件の現場に行って、家にいた犯人自身からも事情を聴いていながら、初歩的な確認を怠ったため犯人を見逃し、その後に起きる第4の犯行を防げなかったというミスを犯したのですが、なぜか事件解決に殊勲をあげたとして検事総長捜査功労賞を受賞します。

その後、彼は「浜松事件は自分が解決した」と手柄を誇張するようになり、殺人事件捜査の権威になってしまいます。警察の上層部も、彼を重用し、県内で殺人事件があれば指揮者として呼ばれ、捜査を指揮するという絶対的な存在になりました。誰も彼の言うことに反対できなくなってしまいます。

――拷問が疑われるような強引な取り調べによって得られた自白調書を易々と証拠採用して、有罪判決を導く裁判官も描かれていますが、戦後に刑事司法制度が変わったにもかかわらず、このような裁判官が存在したのは、なぜでしょうか。

裁判では、被告が公判で「私は拷問をされた」と叫びましたから、裁判官も拷問があったことは、わかっていたと思います。それでも、たとえ拷問を受けたとしても、「やりました」と言っている以上、犯人に違いない、と考えたようですね。

――上告審から弁護団に加わって、死刑判決破棄、無罪判決を勝ち取る中心となった清瀬一郎弁護士の弁護活動や、その人となりも詳しく描いていますが、清瀬弁護士のどんな部分に魅力を感じられましたか。

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