首都圏貫く湘南新宿ライン「開業20年」進化の歩み 東海道線や高崎線を新宿で結ぶ大プロジェクト
翌2002年3月、土休日の夕〜夜間に3往復増発。その一部はホリデー快速に充当した215系の回送列車を営業化したもので、なおも“あり合わせ”ながら早速の増強である。このとき、小田急は「湘南急行」の運転を開始した。現在の快速急行につながる列車で、ライバルが増えた。
次が同年12月。東京臨海高速鉄道りんかい線が全線開業を迎えてホームが新設された大崎駅に乗り入れ、同時に埼京線も大崎へ延伸、相互直通運転を始めた。このとき湘南新宿ラインは、平日は朝2往復と夕〜夜間11往復を増発して38往復、土休日も12往復増発して37往復となった。新宿駅の1・2番線ホームが15両対応に延伸され、線路4本を使えるようになったためだ。しかし、池袋の平面交差と新宿駅池袋方の交差支障が未解決のためピークの状況は変わらず、増発は南側中心だった。だが、夜が充実したことで本格的に通勤客が顧客になり、休日利用が平日に勝るという当初の特徴は都市通勤鉄道らしい姿に変わった。
グリーン車も組み込み平日は64往復に成長
そして2004年10月16日、湘南新宿ラインは「完成形」と言うべき姿となる。運転時間帯がほぼ終日に広がり、基本とする日中の運転は高崎線〜東海道線系統、宇都宮線〜横須賀線系統とも毎時2本の計4本とされ、1往復増とともに新宿折り返しのイレギュラーを解消した。車両は両系統とも4ドアのE231系に統一。そして、全列車にグリーン車を組み込んだ。平日の総数は38往復から64往復、土休日は37往復から62往復へと7割近い増発ぶりだ。その後も1往復、また1往復と増発を重ねている。
大宮―赤羽間と大崎―小田原間では保安設備の工事が完成し、時速95〜110kmから120kmへ速度向上が図られた。高崎線〜東海道線系統では日中時間帯に特別快速を新設して、「新宿―横浜間27分」と打ち上げた。新たな大崎停車でこの時分を実現するため、特快は恵比寿を通過する。
この改正では朝ピーク時の増発も特筆される。池袋―新宿間は計22本で限界とされていたが、これに湘南新宿ライン4本が加えられ、1時間に26本となった。約2分40秒間隔から同2分20秒間隔への変化である。
このダイヤを可能にした改良こそ、湘南新宿ライン、ひいては首都圏JRの複雑化した直通運転発展の象徴である。
その第一は、池袋駅改良工事の完成だ。それまでの路線別のホーム、新宿方の平面交差(埼京線南行と湘南新宿ライン北行が交差)の姿から、方向別ホーム、大塚方の立体交差(埼京線南行が湘南新宿ライン上下線を乗り越し)化によって交差支障のロスが解消した。その背景には、埼京線板橋まで設定されていた貨物輸送がある。1999年に貨物の営業区間として廃止されたことを前提に、電車専用の急勾配を許容した交差が可能になった。
同時に新宿駅でも構内改良が進展し、以前は交差支障が生じていたホーム(3・4番線池袋方)で同時発着が可能となった。ごちゃ混ぜだった折り返し運転列車の着線が整理された。
いまではすっかり当たり前の景色になったが、湘南新宿ライン後の20年で首都圏の鉄道輸送の有り様が大きく変わったし、都市の機能にも少なからず影響を及ぼしてきた。それを思うと、思いつきのようなことで始まったプロジェクトを大きく結実させた地道な努力に感じ入る次第だ。
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