ゾンビ人気沸騰中! 『ウォーキング・デッド』 極限状態で最も怖いのは、実は人間

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さて、劇中では要所要所でウォーカーは効果的に登場するので、ウォーカー殺戮シーンは無駄に多くはない。そうしたファイト・シーン以上に、平時なら表に出ることはないだろう人間の本性のほうが、えぐい。人類の存亡が危ぶまれるという危機的状態においてもなお、「一致団結、協力し合って生き残ろう!」とはならないところが、人間の業の深さとでも言おうか。

結局のところ、人間とは世界にたった2人しか残っていなかったとしても、いさかいを起こす生き物なのかと思うと、暗澹たる気持ちにさせられる。

一方で、混迷の時代を生き延びるうえでのタフさについても考えさせられる。リックたちのグループが全滅せずにサバイブできているのは(メンツの変更はあるが)、お互いを信用して助け合うことに加えて、個々のサバイバル能力が高いということが言えるだろう。

リックの妻ローリと息子のカール

特に、リックの幼い息子カール(チャンドラー・リッグス)は、シーズンが進むにつれてどんどん成長していくのだが(同じ子役が演じている)、人間はここまで過酷な環境に適応して強くなれるものなのかと、感心するやらびっくりするやら。平和な世の中なら、こんな試練に耐えることもないし、こんなふうに非情になる必要もないのに……と切なくもあるが、同時に人間に本来、備わっている生命力を感じさせるのも事実だ。

ほかのキャラクターもしかりで、意外なタフさを発揮する者、案外、弱々しい者など各種タイプがいるのだが、こうした世界で生き抜くためには、やはり個人のサバイバル能力の高さが決め手となる。そして、サバイバル能力にメンタルの強さは欠かせないということが、ドラマを通して最も痛感することかもしれない。

自分さえ助かれば幸せなのか?

コミュニティを作って協力し合うが、いさかいが絶えない

しかし、「自分を守るのは自分だけ」と覚悟を決めて、時には心を鬼にして、または計画的に他人を蹴落としたり犠牲にして生き残りに必死になる姿に、ふと自分さえ助かれば幸せなのかという疑問もよぎる。自明の理だが、人間はどうあってもひとりでは生きていけない生き物だ。したがって、強い者、弱い者が協力し合い、お互いにないものを補い合いながらも、誰かが誰かに完全に依存する状態をなるべくなくし、全員が何らかの力を発揮できるように訓練する。そうやって共同体として生き残る道を選ぶほうが建設的なのだ。

リーダーシップやチームワークの難しさは現実社会と同じ

リックたちは共同体としてうまくいくときもあるが、全体として人間関係に摩擦は絶えない。特に、シーズン1で世界がどうなっているかが、ある程度、俯瞰できてからのシーズン2は、各キャラクターの掘り下げとコミュニティ内における不和が表面化していく。

リーダー格となったリックは、頼りにされ、つねに難しい判断を迫られ、戦闘能力が高い者は足でまといになる弱者を切り捨てようとする。人種の違いも含めて、何となくそりが合わない、いけすかないといった感情的な好き嫌いも、長い時間、一緒にいると無視できないものとなる。これって、現実の人間関係とそう変わらないなあとも思ってしまう。

文字どおり、裸の状態で自然界に放り出されると、学歴や職歴、資産がどれほどあったかなどのスペックは意味がなくなる。それまでに蓄積してきた、自身の血となり肉となっているものが“何か”がカギとなるのだが、このある意味、並列で各人の真の人間力が試されるところが、本作がゾンビものながら「万人ウケ」している理由かもしれない。

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