また、株主が「短期の利益」にばかり注目して企業がそれに適応することに弊害があるのだとすると、実は、そうした企業に投資する投資家は損をするのだから、この弊害を修正するためには、「市場」をむしろより積極的に活用することが重要になる。
岸田氏は「四半期単位の情報開示を止めることを検討する」などとピントの外れたことを言っているのだが、男女を問わず「鏡を見る回数を減らすと容姿や身だしなみがよくなる」というようなことはない。企業も同じだ。
日本経済が新自由主義的であったことなど一瞬もない
岸田論文は、民間企業の設備投資額を2000年から2019年で比較すると、アメリカは1.45倍、日本は1.1倍だという。それだけが原因だというつもりはないが、この時期にあって、より「新自由主義的」(≒市場経済重視)だったのは明らかにアメリカのほうではないか。
はっきり言って、正社員をスムーズに解雇することさえできない(解雇には明確な金銭補償のルールが必要だが)日本の経済が、新自由主義的であったことなど一瞬もない。
岸田首相がしばしば言及する、「成長」と「分配」について言うならば、成長を求めるためにわが国の経済に足りないのは、むしろ新自由主義的な自由と市場の尊重なのではないだろうか。
そもそも実現していない「新自由主義」から脱却するというのはまったくピント外れだし、日本には、むしろ「新自由主義」が足りていないのが真相ではないか。ただし、「新自由主義」という「薬」には、服用上重要な注意事項がある。
「新自由主義」と呼ぶのが適切か否かは別として、市場経済に任せた社会運営で経済力の格差が拡大することは否めない。トマ・ピケティ氏が指摘したように、資本の収益率は経済成長や賃金の成長率を上回るので、資本を持っている金持ちとそうでない人との間の経済力格差は広がる傾向がある。そして、人は社会の中で経済力の格差が大きく広がることをよいことだと思っていない。
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