桐谷健太「大阪の兄ちゃん」感覚を大事にする訳 俳優歴20年、役者以外の自分も大切にする現在

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(写真:トヨダリョウ)

── 沖縄でのオールロケとなりましたが、どうでしたか?

桐谷:僕は何度も沖縄に来ていましたけど、どちらかというと自然の多いところや離島に行くことのほうが多くて、実は今回の映画の舞台となったコザは初めてだったんです。でも今回行って、沖縄とコザのことがさらにすごく好きになりました。実際に現場に行くと、出演者のほとんどが、沖縄の役者さんであったり、芸人さんだったり。その中でこの役をやれて、僕はめちゃくちゃ楽しませてもらいました。

── 撮影現場は楽しかったんですね。

桐谷:はい。「あ〜、この感じ大事だな」って思いました。もちろん、映画は観てくださる人が楽しめたり、感動したりできることが大前提ではあるんですが、作っているみんなが楽しいとか充実しているとか、いいものができてるんじゃないかとワクワクするとか、そういう感覚を大事にしたい。もちろん苦しいこともあるかもしれないけれど、それさえも楽しめる感覚を、改めて純粋に思い出させてくれた作品でもありました。

明日は死ぬかもしれないから、という米兵のリクエストに応えて

── 翔太がタイムスリップした1970年頃は沖縄が米軍統治下のベトナム戦争特需に沸く時代で、コザは米軍門前町として賑わっていました。映画では当時の風景がリアルに再現されていますが、そういう歴史的なことも事前にいろいろ調べたのですか?

桐谷:コザは沖縄の歴史の中で、ある種代表的な場でもありますからね。もちろん資料を見たりもしました。でも、撮影に入る前に現地でいろんな人に直接話を聞くと、やっぱり資料を読むのとはまた違って、なんというか、人のフィルターを通して聞いた話というのが、一番(心に)入ってきたかもしれません。活字で読んで想像することは作品に入る前に毎回必ずしますけど、それとは違う、生の声というか。そこもある種、運命を感じるというか、誰に何を聞いたのかということが役作りに対して大きいと思いました。

(写真:トヨダリョウ)

── 今回は地元の人たちとのふれあいが多かったのでしょうね。

桐谷:そうですね、エキストラで来てくださった皆さんの中にも、映画の内容を聞いてお手伝いしたいと申し出てくれた人がたくさんいましたので、それは嬉しいことでした。沖縄の人って沖縄のことを愛している方が多いので、70年代のことも、その時代に生きていない人でも、おじい、おばあから話を聞いて知っている人が多いんです。その皆さんが凄く力を与えてくれた、パワーをくれましたね。

── この映画には、実際その当時にコザで活躍していた「紫」というバンドが、楽曲提供してくれています。紫は今も現役でライブ活動を続けていますが、バンドメンバーの方とは直接お話されましたか。

桐谷:ドラムのチビさんからはたくさん話を聞きました。当時、ライブに来るお客さんは、皆ベトナムの戦場を行ききする兵士なんですね。だから、昨日喋っていたヤツが次の日には天国にいっちゃったって話はザラだし、チビさんがスネアでドラムを連打すると、銃撃の音がフラッシュバックしてしまって、武器を持ってバンドのメンバーに襲い掛かってきた兵隊がいたとか、実際にその場にいたら怖いだろうなって思う話も多かったですね。

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