JRAがコロナ下でも「DXの勝ち組」になれた理由 「総売上高」は10年連続増、ついに3兆円を回復

✎ 1〜 ✎ 97 ✎ 98 ✎ 99 ✎ 最新
拡大
縮小

そこから②暗黒期が始まる。1998年は日本経済を金融危機が襲った「デフレ元年」であり、日本経済における実質賃金の低迷が始まった時期である。馬券売り上げも同時に右肩下がりとなった。この時期の総参加人数は横ばいであるから、1人当たりの購入金額が減った計算になる。競馬ファンも、従来よりも少額で勝負するようになったのだろう。

2005年には、3冠馬ディープインパクトが登場して社会現象となっている。しかるにスターホースは、馬券の売り上げにはさほど貢献してくれなかった。何しろディープのファンは、100円の単勝馬券を記念に買っていたからなあ。

世間的な認識としては、「ギャンブルは不況に強い」などといわれる。しかるに競馬のような日銭商売にとって、しみじみデフレは大敵なのである。

競馬界は経営努力を続けることになる。すなわち、新しい種類の勝ち馬投票券を次々と発売した。1999年に「ワイド」、2002年から「馬単」と「3連複」、2004年には「3連単」を導入している。2011年からは「Win5」が始まった。興味深いことに、それ以降は新たな馬券の発売は途絶えている。

アベノミクスとは結局、何だったのか

競馬界のボトムは2011年であった。いうまでもなく、東日本大震災の年である。実際に福島競馬場が被災して1年間使えなかったほどなので、売得金が減ったのは当然であろう。

というか、確かに競馬どころではない1年であった。超円高であったし、株安であったし、安倍晋三元首相などに言わせれば「悪夢の民主党政権」であったし、日本経済にとってもまさしく「陰の極」であった。

2012年からは、競馬界と日本経済に薄日が差し始める。③回復期の始まりである。この年の12月から第2次安倍晋三内閣が発足し、いわゆる「アベノミクス」が始まる。円高是正と株高が進み、景況感はかなり改善した。

とはいえ、それ以降の約10年間の日本経済を振り返ってみると、GDPはそれほど伸びなかった。他方では少子・高齢化がいよいよ本格化して、労働市場は慢性的な人手不足になり、高齢者を中心に雇用者数が500万人近く増えた。

しかるに経済成長が乏しかったので、1人当たりの賃金は増えなかった。つまりアベノミクスとは、「成長したかったけど成長できず、分配するつもりはなかったのに分配してしまった経済政策」と解することができる。

次ページコロナ危機を乗り越えたJRA
関連記事
トピックボードAD
マーケットの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT