JRAがコロナ下でも「DXの勝ち組」になれた理由 「総売上高」は10年連続増、ついに3兆円を回復

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それだけではない。JRAが年間の事業で収入をあげると、その額の半分もまた国庫に納入されてしまうのだ。いやあ、なんという苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)。逆に言えば競馬ファンとは、かくも納税に貢献している意識の高い人たちなのである。

それはさておいて、以前から筆者はこの売得金のデータに注目してきた。なにしろJRAの売得金は、その年のデータが12月28日には公表され、それも100円単位で狂いがなく、あとから修正されたりもしない。こんなに早くて正確な経済データはほかにない。しかも馬券の売上高は、その年の個人消費の絶好の指標となるのである。

JRAの売り上げピークが1997年だった理由とは?

JRAが公表しているデータを基に 、1985年以降の総売得金、総参加人員のデータをグラフにしてみた。これを見ると、全体を3つの時期に分けることができる。

① 1980年代バブルから1997年のピーク時4兆円へ駆け上った成長期
② デフレが続き、14年連続で右肩下がりが続いた暗黒期
③ 2011年の2.1兆円をボトムにした緩やかな回復期

まずは①成長期だが、昭和の競馬界は決して今のような明るいイメージではなかった。紳士淑女の社交場どころか、ハンチング帽子に赤鉛筆という競馬オヤジたちの殺伐とした世界であった。

それが1990年の有馬記念で、若き日の武豊ジョッキー騎乗のオグリキャップが優勝したころから、競馬場には女性ファンや家族連れが増え始めた。1987年から今の「JRA」(Japan Racing Association)という略称を使うようになったのも、とにかく「中央競馬会」のイメージを変えたいという意識が強かったのである。

売り上げのピークが1997年であったという点に異和感を覚える向きは少なくないだろう。この年は消費増税(3%→5%)、アジア通貨危機、「山一・北拓ショック」など、経済危機の端緒となった年だからだ。

しかるにこの時期は、日本の生産年齢人口がピークに達したころでもある。言い換えれば、団塊世代の先頭が50歳に達して、団塊ジュニア世代が20代前半だった時期である。人口の2つのヤマが「金を使う盛り」と「遊びたい盛り」に達していた。だからこそ個人消費は強かったのである。

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