日本は「イスラム国」掃討に行きたがっている 笠井潔×白井聡、『日本劣化論』延長戦(後編)
白井:また、最近の安倍さんの言動がとても気持ちが悪い。少し賢くなったのか、戦後憲法の悪口を言わなくなった。逆に、憲法9条を心底憎んでいるはずなのに、解釈改憲のあとの記者会見で、戦後憲法をやたらほめて、すばらしい憲法なんだけど、時代にあわなくなった。だからそれを実現するために解釈改憲をやるんですといっています。
本当は大嫌いなものを口先では素晴らしいと言っている。憲法学者の小林節さんとお話しているときに、小林さんが「(安倍は)憲法を変えられないので、憲法を辱めることにした」とおっしゃっていました。まさにその通りです。性的なメタファーを使えば、凌辱しているんです。先ほど潜在的な反米主義といいましたが、それは正面切っていえない。そのときにどうするかというと、アメリカの置き土産である戦後憲法をアメリカの身代わりとして、やっつけ、辱めてるんですよ。しかもその憲法へのレイプを命じているのは、アメリカです。
「パシフィック・リム」や「ゴジラ」から読み取れるもの
白井:彼らの精神構造をどう解析することができるのか? 笠井さん、そのあたりはどうお考えでしょうか。
笠井:直接回答すると、話が長くなりそうです。時間もないようなので、最後に象徴的な話をひとつしたいと思います。去年の夏に「パシフィック・リム」というアメリカ映画が公開されました。今年の夏は、ハリウッド版の「ゴジラ」。両方見たんですが、どちらにも納得できないものを感じました。SFXを駆使したSFスぺクタルは迫力満点で楽しめるんですが、主題面に問題がある。
「パシフィック・リム」では、怪物が日本に上陸してきたときに、巨大ロボットにのったアメリカ人が日本人の少女を救う。少女は救ってくれたアメリカ人を父親のように愛し、お父さん/アメリカのために戦う女性兵士に成長していく。
ずいぶんとアメリカに都合のいい話じゃありませんか。敗戦時には12歳だった日本人が成長して、父と仰ぐアメリカのために戦ってくれるという映画なんです。敗戦と対米従属を強いられた戦後日本の特殊な文化意識が、アニメを初めとする日本のサブカルチャーを育んだ。巨大ロボットものという奇妙なジャンルは、その代表例です。それをハリウッドが横取りして、ああいう主題の映画に仕立てあげる。しかし、これにたいする批判は目に付きませんでした。
今年の「ゴジラ」では、ムートーという怪物がハワイに上陸します。そこにゴジラが出現して、ムートーを撃退する。次にムートーが襲うのはサンフランシスコ。ここでも日本産のゴジラが現れて、アメリカを脅威から救ってくれるわけです。ハワイの真珠湾攻撃からはじまり、サンフランシスコの講和条約締結で終わるのが日米戦争でした。ムートーの軌跡は、かつてアメリカと太平洋の覇権を争った日本を象徴している。しかも、そのムートー/日本の脅威からアメリカを防衛するのが、敗戦と占領の文化的屈折から誕生した日本産のゴジラなんですね。よくもこういう映画を作るよなと、つくづく感心します。
「パシフィック・リム」や「ゴジラ」を作るアメリカもアメリカですが、こういう映画をみて喜んでいる日本人は何者なんでしょうか。最後はサブカルネタでしめてしまいましたが、このあたりでトークイベントを終わらさせていただきます。
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