これがジェンダー論の基本的な考え方です
重要なことですので、この考え方を詳しく説明しましょう。
多くの男女の筋力を測れば、その平均値では、もちろん男性のほうが上になるでしょう。しかし、私を一瞬で投げ飛ばすような筋力を持つ女性は、山ほどいるはずです。
このように、男女という2種類しかない箱は、個人の多様性を押し込めるには、明らかに数が少なすぎます。「個性と能力を性別にかかわりなく発揮できる」とは、その「箱」の制約から自由でなければならないということ。「性別間の平等」は「性別からの自由」を伴わないと実現しないのです。
したがって、この文章の中に、たとえば「男女の特性を無視することなく」といった文言が一言入ってしまえば、この法律の根底的な考えが崩壊してしまいます。「男女は違っているが対等だ」というこの立場は、「異質平等論」と呼ばれるもので、母性神話や性役割分業規範を肯定するのは、その典型例です。現在、ジェンダー論の研究者の中で、この立場に立つ人はほとんどいません。社会学者まで広げても、かなり少数でしょう。
学界の多数説というのは、さまざまな研究や議論の積み重ねの上に成立するものです。この男女共同参画社会基本法は、ジェンダー論の議論を背景としつつ、異質平等論を明確に否定しているのです。
そして、その基本法を背景に、内閣府には「男女共同参画局」という局があり、各地方自治体にも推進義務が課されているために、担当の部署があります。しかも「男女共同参画」は、少なくとも「男性の問題でもある」という視角が取り入れられているのに対して、「女性の活躍」では、男性は無関係に見えてしまいます。
このように、すでに法律で定められた部局や推進政策があるところに、「女性活躍」といった言葉をいきなり持ってきても、その内実が何なのか、さっぱりわからないのです。2020年までに指導的な役割に就く女性の比率を30%にするという政策を安倍氏は意識しているようで、それに基づく新法の制定を目指すとの報道が出ています。
しかし、そもそもこれは小泉政権下で出てきた「女性のチャレンジ支援」という政策項目の中に含まれている政策目標で、男女共同参画行政の中では通称「二〇三〇(にいまるさんまる)」として定着しています。10年以上も前に打ち出された「女性のチャレンジ支援」を、名前だけ変えて「新しい」と言われても、疑問符しか浮かびません。各企業に義務化するとでも言うのなら別ですが、行動計画の策定を求めるのが精いっぱいで、財界ではそれにも反対の声が高く上がっています。
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