1968年、ビートルズに聞こえ始めた解散への足音 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter35
「ダメだ、ダメだ。ギターをもっとダーティーなサウンドにしたいんだ!」と、ジョンはエンジニアのジェフ・エメリックに向かって叫んだ。エメリックは思案の末、2つのプリアンプを繫いで過大入力を送り込み、歪んだ音を作り出すことに成功した。
「僕らの社会は、狂った目的のために動かされている」
幸い、奇跡的にもこの手法で機材がオーバーヒートして爆発することはなかったが、皆の苛立ちは過熱する一方だった。ジョンとヨーコは2人きりで「レボリューション9(Revolution9)」の録音に取り掛かっていた。
これは、当初10分以上の長さがあった「レボリューション1」のオリジナル・テイクから、ラスト部分に入っていたさまざまな音――テープ・ループや詠唱、サウンド・エフェクトなど――を使った、「サウンド・コラージュ」だった(「9」という数字はジョンにとって意味のあるものだった。誕生日が10月9日で、リバプールでニューカッスル・ロード9番地に住んでいたからだ)。
「あれは、ジョンの曲であると同時にヨーコの作品でもあったんだ」とエメリックは言っている。
「でも少なくとも、ビートルズの作品ではなかったよ」
(『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』の批評家は、このトラックを『(ホワイト・)アルバムの顔面にできたニキビ』と呼び、「どこかのだれかが2分おきに戻ってきては、『ナンバー・ナイン、ナンバー・ナイン』と繰り返す曲」と描写している)
ジョンは、ヨーコの意見を何よりも重要視した。
「ヨーコが、僕の中にあったあらゆる創造性を刺激してくれた。これは、彼女が僕の創造性を引き出してくれた、ということであって、彼女をインスピレーションとして曲を書いた、ということではない。『レボリューション』で語っていることは、すべて僕自身の考えだ」
ジョンは、自著『絵本ジョン・レノンセンス』(1964年)と『らりるれレノン』(1965年)を題材とした舞台『イン・ヒズ・オウン・ライト(In His Own Writes)』の開演に先立ち出演したBBC2の番組でも、「レボリューション」で表現した思想について滔々と語った。
また、6月6日に放送されたインタビュー番組でも「僕らの社会は、頭のおかしな連中によって、狂った目的のために動かされている」と、ジョンは話した。