1968年、ビートルズに聞こえ始めた解散への足音 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter35
騒動の真っ最中、ジョンは叔母のミミにヨーコを会わせるために、海辺の町プールを訪れた。
ミミはこのころ、1965年にジョンが2万5000ポンドで買ったビーチ・サイドの平家に住んでいた(家はその後売りに出され、2018年時点の売値はわずか950万ドル弱だった)。
「ジョン、その辛気臭い女はだれなの?」とミミが尋ねた。
「ヨーコだよ」
「私、アーティストなんです」とヨーコが付け足す。
「変ね」とミミが返した。
「あんたの名前は、いま初めて聞いたけど」
同じころ、シンシアもこの現実に直面していた。イタリアでの休暇から戻ったシンシアはビートルズのオフィスに電話をかけて伝言を残したが、いつまで待ってもジョンからの返事はなかった。
彼女が夫の声を聞くためには、もはや彼の新しいレコードを買う以外なかった。
「僕のもとを去っていいよ」
「レボリューション」のA面となった「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」について、ジョンはこう回想している。
「ポールは、僕の息子のジュリアンのためにあの曲を書いたと言っていた。僕がシンシアと別れて、ジュリアンのもとを去ろうとしてたことを知ってたからね」
続けてジョンは、こうも言っている。
「でも聞いた話では、あれは僕に宛てた歌だったんだ。ちょうど、ヨーコが僕の人生に現われたころだった。『彼女を捕まえにいけよ(go and get her)』という歌詞で、ポールは無意識のうちに僕に語りかけてるんだ。『僕のもとを去っていいよ』とね」
ジョンの解釈が正しいとすれば、それはビートルズを通したジョンとポールのパートナーシップの解消を意味していた。