ミレニアル・Z世代が支持、「大きな政府」の米国史 東京大学・中野教授に聞くアメリカ史(前編)
――アメリカは第1次世界大戦後、好況続きの「繁栄の1920年代」を経験しましたが、1929年の株価大暴落をきっかけに大恐慌へ突入します。そこで出てきたのが、そのフランクリン・ローズヴェルト大統領によるニューディール政策ですね。
ローズヴェルトは、1932年の大統領選挙で当選すると、「私は、経済不況という敵と戦うため、これから大戦期のような非常事態の対応をやる。それがニューディールなんだ」というようなことを言うんですね。そして、就任後は多くの権限を大統領に集中させ、議会を差し置いて、連邦政府が主要な政策を差配する体制を築いていきます。ローズヴェルトの民主党は困窮者の救済や労働者保護、大規模な公共事業、そして、社会保障などを内容とするニューディール法案を次々と成立させていきますが、その多くは連邦政府と専門家・官僚に強力な権力を付与するものでした。
ニューディールが引き継いだ国家総動員体制の名残り
忘れてならないのは、アメリカは第1次世界大戦中に国家総動員体制を経験していたということです。大戦中、アメリカでは軍需生産を維持するために大統領命令で労働組合を保護したり、史上初の全国的な徴兵制を導入したりしていました。鉄道や鉱山など重要産業は国家管理下に置かれ、若い専門的な行政官僚が活躍したのです。
「専門家が主導し、大統領や行政に権限を集中する」というニューディールの下地には、こうした国家総動員体制の名残がありますが、その意味でニューディールには、非民主的な部分がありました。
当時はちょうどナチス・ドイツが台頭し、日本は国際連盟を脱退したころです。今でも指摘されていることですが、「民主政治は物事を決めるのに時間がかかりすぎる」と昔ながらの熟議民主主義に否定的な見方が増え、ウォルター・リップマンなどリベラル派知識人たちも必要悪としての「ソフトな独裁」を説いていた時代です。そうした空気を背景に、初期のニューディールは猛烈な勢いで進行していったのでした。
――それは、「専制国家」中国の台頭を受けた現在の欧米の論調や政治を想起させます。バイデン大統領が大型財政法案を通そうとする最大の理由は、「中国との競争に勝つため」ですから。とはいえ、当時のローズヴェルト大統領は現在の政治状況以上に独裁的な色彩が強かったと思います。それに対して当時、反発はありましたか。
ローズヴェルトは、1936年の2期目の大統領選挙で地滑り的な大勝利を収めました。上院、下院とも民主党員が75%以上を占めて権力の絶頂期と言っていい状況です。もっとも、ニューディールには国家による規制を嫌う産業界や、逆にもっと徹底した所得再分配を求める急進派など批判勢力もありました。なかでも特に強力な反対勢力は司法でした。最高裁判所は、1期目のローズヴェルト政権が成立させた労働者保護の条項を含む全国産業復興法(NIRA)に対し、「議会を無視した行政権の乱用だ」として違憲判決を出したのです。
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