彼が煮え切らない思いを抱えている根っこには、25年前の元カノ、かおり(伊藤)の存在が大きく占められています。それがえぐり出されたきっかけそのものは、SNSあるある。Facebookの「知り合いかも」に表示されてうっかり友達申請を送ってしまった揚げ句、承認され、彼女の投稿をのぞくと、フツーの幸せをつかんでいた彼女がいたのです。気まずさを感じる以上に、彼がなぜそこまで彼女にこだわったままなのか。それを解き明かしていけばいくほど、「エモさ」を感じる日本人は多そうです。サブカルチャーを形成した90年代の渋谷の街が見事に再現されているからです。
オザケン音楽に90年代のラフォーレ原宿
2人が待ち合わせした場所はラフォーレ原宿前。確かにあの頃、レディースブランドのNICE CLAUPが正面入り口に店舗を構えていました。レコードショップWAVEのグレーの袋を持って渋谷の街を歩けば、ウォン・カーウァイ映画が封切られていて、円山町の入り組んだ道には旅館風の建物も残るラブホテルが軒を連ねていた記憶までよみがえってきます。極め付きはオザケンこと、渋谷系王子様の存在だった小沢健二の音楽。映画のシーンを彩っています。
90年代の渋谷を知る世代にとっては説明いらずのカルチャーがふんだんにあふれています。佐藤とかおりを演じ切る森山と伊藤によって、自分自身や誰かに投影もしやすいです。限定されているからこそ日本らしさ全開である一方で、どの国の誰も彼もが「あの日、あの場所、あの人」を思い出し、「エモさ」を共感するグローバルな映画作品に仕上げる難しさはありそうです。そこでカギとなるのが25年の時間の流れの中で描く主人公をはじめとする登場人物の生き方そのものです。
今回の作品が長編映画デビュー作となった森義仁監督は「小説の文体の奥にある人が生きる時間の流れ方は普遍的。そこをしっかり表現したいと思いました」と、11月9日・10日に開催されたNetflix新作発表会「Netflix Festival Japan2021」に登壇した際に語っていました。監督もやはりそこにこだわったようで、佐藤やかおりのみならず、東出昌大が演じた佐藤の同僚や、篠原篤、平岳大が演じた役は限られた語りの中で人生が見えてくるようでした。
それと比べて、SUMIREや大島優子が演じた佐藤と関わり合いを持つ女性役は、あくまでも佐藤の人生の背景の1つにすぎないように見えたのは残念でした。かおりの存在を際立てるために狙ったものかもしれませんが、男女キャラクターの描き方のバランスをうまく意識したNetflixオリジナルが多いだけに物足りなく感じました。
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