虐待、薬物…壮絶な人生を逆転させた29歳の決断 生きることに諦めた子どもたちを助けたい
施設を出たのは、中学卒業の年。顔には複数のピアスの痕、指にはリング状のタトゥー、手には根性焼きの痕。風間さんがアルバイト先をみつけるのは困難を極めた。たまたま知り合いに頼まれて撮影したライブ写真の評判がよかったことから、依頼が舞い込むようになり、フリーの写真家として生計を立て始めた。
誰かに必要とされることはうれしかった。しかし、処方薬以外に違法薬物にもハマり、薬を使う日々を過ごしたため、施設を出た後の記憶は、おぼろげにしか残っていない。
「親代わり」だった薬をやめた理由とは
転機が訪れたのは、2011年3月。当時19歳だった風間さんは、違法薬物を含む薬物のオーバードーズをして倒れた。その場にいた仲間は逮捕されることをおそれ、すぐに救急車を呼ばなかった。
風間さんが病院の集中治療室に運ばれたのは、倒れてからしばらく経過した後のこと。昏睡状態が2週間以上続き、同年3月11日に起きた東日本大震災のときも眠り続けていた。目を覚ましたものの、集中治療室に運ばれるまで足を交差した状態で倒れていため、座骨神経麻痺による左下肢機能全廃の後遺症を負った。
集中治療室を出た後は、解離性障害で通院していた病院に転院。リハビリに励む日々が約5カ月続いた。そこで医師に薬物をやめられない「薬物依存症」という病気があることを聞き、薬物依存症外来に通うことをすすめられた。風間さんは「薬を取り上げるのか」と込み上げてくる怒りをおさえられなかった。
「人間を信じられなかった私にとって、薬は『親代わり』でした。薬だけは、私が期待した通りの効果をかならずくれたので、信用できたんです。それに、そのときの私には、薬をやめる理由もありませんでした」
しかし、不思議と「薬物依存症」と診断されてからは、違法薬物を使うことはなくなった。
「お金も稼げませんでしたし、何より歩くことができなかったので、薬物を手に入れるのが億劫でした。それに、薬を一緒に使っていた仲間に迷惑をかけたので、もう戻れないとも思いました。ただ、アルコールならば警察に捕まることもないし問題ないだろうと考え、酒にハマり、朝からウイスキーの瓶をあけることはありました」
薬をやめる明確な「理由」ができたのは、22歳で「母」になったとき。妊娠がわかったとたん、アルコールやタバコをスッパリやめた。育児が落ち着いたころに飲みに行くことはあったが、飲みの席に行っても、浮かぶのは子どもたちの顔。気づけば、ほとんど飲まないまま、家路を急いでいた。