「つながりの過剰」が「言論の公共性」を脅かす理由 「アカデミック・ジャーナリズム」は可能なのか
しかし、アカデミズムとジャーナリズムがそれぞれの道を究めれば両者の異質性が際立ち、相互乗り入れが困難になってゆくのはある意味で必然だ。戸坂が懸念していたのは、相互乗り入れの難しさが分断に至るプロセス自体ではなく、その過程で発生する副反応的な問題だった。幅広く受け手を獲得することを目指すジャーナリズムは自らの商品価値を高めようとするあまりにセンセーショナリズムに堕したり、誇張や捏造にまで手を染めたりする。アカデミズムについても大学という制度の中に縛られ、固定化、惰性化しがちだと彼は指摘した。
こうした戸坂の「診断」は今のアカデミズムとジャーナリズムについても該当しよう。であればこそ彼が問題解決のために提示した「処方箋」にも注目すべきだろう。戸坂はジャーナリズムがアカデミズムの、アカデミズムがジャーナリズムの助けを受けることを求めた。すなわち、現象の表面ばかりを追いがちなジャーナリズムの風潮をアカデミズムが牽制して基本的な考察へと向かわせ、一方で専門家集団の中に閉じこもり、停滞に陥りがちなアカデミズムをジャーナリズムが刺激して時代への関心に引き込むことができるはずだと戸坂は書いていた。
そこには今のジャーナリズムとアカデミズムのあり方を考えるうえでのヒントがある。ジャーナリズムとアカデミズムがそれぞれの専門領域で進化を遂げてゆくことに大いに期待しつつ、一方で両者の健全性を保つために相互間の交通を成立させ、戸坂が指摘したように欠点を補正しあう関係を確立する。そのために、「間」の領域を確保する主にジャーナリズム側からのさまざまなアプローチを示すキーワードとして「アカデミック・ジャーナリズム」という言葉を用いたらどうか。『現代ジャーナリズム事典』に「アカデミック・ジャーナリズム」の項目を立てた背景にはそんな考えがあった。
「権力の番犬」から「良き仲間」モデルへ
そして今回は総合論壇誌『アステイオン』で「アカデミック・ジャーナリズム」特集を組んだ。各論考の内容を簡単に紹介してみよう。
毎日新聞記者の大治朋子は取材過程で研究者たちの仕事に触れてアカデミズムの知や研究方法をジャーナリズムに取り入れる必要性を感じ、独自の概念として「アカデミ・ジャーナリズム」(大治はアカデミと表現している)を提唱するに至った経緯を書いている。
海外翻訳書の編集者からノンフィクション作家として独立した下山進は、アメリカのジャーナリズムで確立されている自然科学領域をわかりやすく伝える「ポピュラー・サイエンス」という手法を紹介する。
戦後日本の社会史・文化史を研究する山本昭宏はアカデミズムとジャーナリズムの往来が例外的に活性化した60年代の論壇事情を一人の伝説的編集者の存在に光を当てて考察した。
大学に籍を置きつつジャーナリズムでの活動を続け、いち早くアカデミック・ジャーナリズムの実践者となっていた開沼博は、ジャーナリズムが「権力の番犬」モデルに執着してきた結果、イデオロギーを過剰に押し付け、対立の構図でしか対象と向き合えなくなっていると考え、「番犬」から「良き仲間」モデルへとロールモデルを替えることで、事実を丁寧に拾い集め、細部を描きつつ新たな意味を求め、全体像を描き直すジャーナリズムの再生がありうるのではと提案した。
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