コロナで孤立が深まった人のあまりにも深い苦悩 つながりの格差、コミュニケーションの重要使命

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他方で、当初は政府の自粛要請などを言われるがまま受け入れてはいたものの、杓子定規に従うとQOL(生活の質)が損なわれることに危機感を抱いた人々は、さまざまな解決策を試みながら人間関係の意義を見つめ直す機会――「不要不急」とされたつながりが本当に「不要不急」か否か――を得ることになった。つまり、自分にとってどれが必要な関係性で、しかもその関係性は直接会うことに比重を置くものかといった再考である。

東京都内でレンタルスペースを提供している経営者に聞いた話だが、感染者数が急増し緊急事態宣言が発令されるたびに、人気のボードゲームなどの集まりがいったんZoomなどのビデオ会議システムによるリモートに切り替わったが、その後紆余曲折あって、結局は感染対策を徹底しながら元の会場で開催する例が目立ったという。コミュニケーションにおける物理的な近さや、自然な会話がしやすい雰囲気などが何ものにも代えがたいと気づいたからである。

ビデオ通話でさえも限定的な満足感しか得られない

これは経済学者のノリーナ・ハーツが『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』(藤原朝子訳、ダイヤモンド社)で述べた対面コミュニケーションの重要性と合致する。

「ソーシャル・ディスタンシングと移動制限がしばらく続くことを考えると、ビデオ会議のビジネス需要はしばらく続くだろう。だが、危機の後に人との交流方法をあらためて選ぶとき、簡潔さを最優先して、文章でのやり取りをデフォルトにしたり、対面ではなくバーチャル・コミュニケーションを選んだりすると、何を失うことになるかよく考える必要がある。というのも、多くの人がロックダウン中に発見したように、最も人間的な要素を維持できるビデオ通話でさえも、驚くほど限定的な満足感しか得られない」などと指摘した問題である。

しかしながら、前述のレンタルスペースでのエピソードのように、当事者が自分たちの集まりを「レクリエーションとしてなくてはならないもの」だと自覚したうえで、(ある程度の感染リスクを冒しても)そのための対面コミュニケーションの場の必要性を認識している場合に限られる。

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