「地球にも財布にも優しいメルカリ」を使わない訳 大量の本を売ってわかった「お金の新常識」

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そうか。愛するものに値段をつけてはいけないのだ。

その点、プライスレスは最強である。自由である。少なくとも世の中の序列に組み込まれて一喜一憂することなく、自分にとって価値があるかどうかを最後まで大切にしていられる。

そうだよ考えてみればそれで十分じゃないの。大事なことは、自分が愛したものが捨てられることなく誰か必要な人の元へ旅立っていくことだ。

それに冷静に考えてみれば、多少のお金を受け取ったところで何を買うわけにもいかないのでのである。だって新居に入りきらないからこそ、こうして必死にモノを減らしているのだ。なのにお金が手に入ったからと新たにモノを買ったりしたら、どう考えてもアホ100%である。

「もらっていただく」だけで十分ありがたい

ということで、私は家に残っていた段ボール箱いっぱいの古いオシャレ雑誌を、店主の了解を得たうえで、タダで店に送ることにした。

予想どおり、とてもいい気分だった。お礼まで言っていただいた。旅立っていった雑誌たちも最後まで堂々としていた。

ーー以上が、私がメルカリを使わない理由である。今や、着なくなった服や、読んでしまった本や雑誌は、知人やお店に声をかけてタダでもらっていただくことがすっかり習慣化した。

こうなってみてよくわかったのは、これは別に太っ腹な行為でもなんでもなく、「もらっていただく」だけで十分ありがたいということだ。

何しろ家に不要なものがあふれれば、狭いわが家はさらに狭くなってしまう。つまりは不用品を誰かがもらってくれるということは、家を広くしているということにほかならないのである。東京のバカ高い家賃を考えれば、これほど価値のあることはなかなかない。

そしてもう一つ、私の人生において非常に重要なことが起きた。

プライスレスという仕組みを日常の暮らしに取り入れたことで、私の中で「お金の価値」というものがグラグラと揺れ始めたのである。

もらうお金は多ければ多いほど良い。それが世間の常識であり、もちろん私の常識でもあった。そこへ「お金をもらわないほうが良いこともある」という新しい常識を割り込ませたことで、なんだかよくわからないことになってきた。

「お金ってなんだろね?」と、ずっとわが物顔でイバっていたお金にふと尋ねる。するとお金は急にモジモジして顔を赤くするのである。

これは私にとっては、とても大きな事態だった。何しろ会社を辞めて給料がもらえぬ身になったのだ。お金という数字だけで見れば、私の価値は明らかに減ってしまった。

でもその数字が、そもそも意味のないものだとしたら? 私の価値は私が決めれば良いのである。お金を稼げないからと、惨めに思ったり、誰かを羨んだり、下を向いたりする必要なんて全然ないのだ。

これはまさしく革命と言ってもいい事態ではなかろうか。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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