「才能開花できる子」「できない子」2つの決定的差 スポーツする子を持つ保護者にしてほしいこと
息子、ジョシュ・ウェイツキンのチェスの才能に気付いたジョー・マンテーニャ扮する父親は、チェスのコーチを雇い入れた。ベン・キングズレー扮するコーチのブルースは、なんらかの苦痛を抱えて生きているような人だった。
その後、ジョシュとブルースの会話から、ブルースは道半ばで挫折した、かつてチェスの神童と呼ばれていた人物だということが判明する。ジョシュを自分の二の舞にはしたくないという強い思いから、ブルースは彼を厳しく指導し、ジョシュはチェスに感じていた情熱を徐々に失っていく。
父親の暗黙の後押しもあり、ブルースはジョシュが公園で大好きなストリート・チェスをすることを禁じた。これを知ったジョアン・アレン扮する母親は愕然とし、以前はこんこんと湧き出ていたやる気を完全に失ってチェスを重荷に感じ始めてしまっているわが子を見て悲しむ。
ブルースは、ジョシュのモチベーションを上げるために、ポイント制度を導入し、最終的にジョシュはチェスマスターの称号を手に入れるが、そのポイントという「ご褒美」の使いすぎで、ある反動に悩まされる。十分予想できたはずだが、ご褒美の使いすぎで、ジョシュの内因性モチベーションが低下してしまったのだ。
この映画では、主人公はハッピーエンドを迎えることができるが、現実の世界では多くの場合、「単純に楽しいスポーツ」から「正しい技術」への移行期に、多くの子どもたちが脱落してしまう。技能に焦点が移ると、スポーツは楽しくおもしろいものではなく、任務のように感じるようになってしまうからだ。スポーツから喜びが消えてしまうと、子どもはできるだけ早くそのスポーツから身を引こうとするのである。
「楽しさ」は才能開発の原動力
子どもの才能が開発され、全国または国際レベルという大舞台で活動するようになると、次の段階に到達したといえる。ほとんどの子どもはこのレベルに到達することはできない。なぜか。
その1つの原因は、前述のとおり、そこまで上達するのに必要な熱心さと努力を支える、「プレーすることの喜び」を途中で失ってしまう子どもが多いからである。
スポーツをする子どもを持つ保護者がブルームの研究から学ぶべき最も大事なことは、楽しさを求める段階から技術を求める段階に移行するときに子どもが急かされないように、しっかりと管理することが必要だということではないだろうか。
スポーツを「任務」として捉えることを子どもに期待するタイミングが早すぎると、子どもは「もうやらない」と決め込み、上達を求める段階に到達できなくなる可能性が高まってしまう。技能を重視するのが早すぎると、「楽しさ」という才能開発の原動力を失ってしまうことになるかもしれないのだ。
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