戦国期の高度成長を生んだ「倭寇的状況」の背景 応仁の乱以後、日本を変貌させた明の経済復興

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大陸では寒冷化と不況の影響から、農業を重視し商業を忌避し、流通・交通を制限統制する明朝の体制が発足しています。すでに10世紀・中世から盛んになっていた日中の民間貿易も、これで大きな制限を受けまして「勘合貿易」となります。

しかし日本は明朝の思い描く体制・秩序に収まることは、ついにありませんでした。むしろ当時の世界情勢と呼応して、それを破壊する方向へ動くのです。日本史も中国史と大きく関わりながら、ここから新しい段階に入っていきます。

経済・産業の発展と通貨の必要性

15世紀から16世紀にかけて、その新しい段階として中国大陸で起こったのは、落ち込んでいた経済の復興、そして著しい発展でした。このときには産業構造も変わっています。

有数の米産地で穀倉地帯だった長江デルタ地域で、手工業の発達が顕著でした。新たに渡来した綿花の作付けが定着して木綿の生産がはじまり、また養蚕・生糸生産も盛んになります。いずれも世界有数の特産品であり、もちろん日本はじめ外国人の作れないものでしたから、内外の需要が高まります。中国内で商品作物の生産と遠隔地の流通が活潑になり、やがて海外ともその交易が盛大におもむきました。

ところが当時の中国には、通貨がありません。農業重視で商業に統制的だった明朝は、原則として物々交換で財政経済を回そうとしていたためです。しかし民間主導で商業流通が活潑になると、これはたいへん不便です。人々はそこで、独自に通貨を作り出しました。私鋳銭です。これで当面の用は果たせますが、その通用価値に限界があります。その価値を認め合える一定の範囲・集団の内部でしか通用しないからです。

その埒外との遠隔・大口の取引には使えないので、誰もが価値を認めることのできる貴金属との併用、いわば外貨のバックアップが必要でした。

そこで重宝されたのが金銀のような貴金属です。これも中国内にある分だけではとても足りないので、海外から持ってこなくてはなりません。ますます貿易が欠かせなくなりました。

金銀獲得の主なターゲットは、未開の新興地域です。ちょうどヨーロッパは大航海時代、「発見」されたばかりのアメリカ大陸があり、近くには日本列島がありました。海外貿易を禁じて物々交換を定めた明朝政権の統制を、こうして民間のパワーが覆していき、中国沿海の貿易は活況を呈します。

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