「親ガチャ」に外れた32歳男性が同居続けるワケ 「大人になったら親を養え」と言われ続けてきた

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両親は学校に行けない兄に対して面と向かって「ここまで育ててきたのに」「高校まで入れてあげたのに」と批判した。一方でナツオさんに対しては「うつ病なんて甘え。お前はああなるなよ。ちゃんとした人間は働くものなんだ」と一方的な価値観を押し付けてきた。

ナツオさんは子ども心に「高校は確実に入れる、学費の安いところを」と、当時定員割れだった公立の工業高校を選んだ。入学後は早速アルバイトを始めた。当初の目的は携帯電話を買うことだったが、両親の“洗脳”のせいで働くことが義務だと思い込んでいたこともあったという。案の定、ナツオさんがアルバイトを始めたことを知った両親からは「働くなら、家にもいくらか入れろ」と迫られた。

平日は5時間、週末は8時間働いた

高校時代、毎月のアルバイト代は8万5000円ほど。ファミリーレストランやファストフード店で働いた。当時の最低賃金は時給800円台だったから、毎月の労働時間は優に100時間を超えていたと思われる。アルバイト収入のうち半分を携帯料金や交通費にあて、残りの半分を両親に渡した。

「平日は5時間、週末は8時間働いていました。高校時代はバイト以外のことをした記憶がありません。友達と話すのも昼休みだけでした」

働き詰めに働く中で、異変が起きたのは3年生になったとき。仕事に出かけようとすると、体が動かなくなった。

「(出勤時刻の)15分前には家を出なければと思っているのに、椅子に座ったきり動けないんです。そのうち10分前になって、そのときも自転車で行けばまだ間に合うと思ってる。なのに動けない。5分前になっても、少しくらいの遅刻なら謝れば大丈夫かなと考えてる。そのうちにバイト先から『どうして来ないんだ』という電話がかかってきて……」

一度欠勤すると歯止めがきかなくなった。次の日も、その次の日も行けなくなり、結局、自分から辞めるか、辞めさせられる。そんなことの繰り返しだった。不思議だったのは、仕事自体は楽しく、バイト同士の仲もよく、環境には恵まれていたのに、ある日突然体が動かなくなること。「今日出勤しないと絶対に行けなくなる」とわかっていても、どうしても体がいうことをきかなかったという。

放課後に自宅にいることが増えたナツオさんに対し、両親は「なんで家にいるんだ」と怪訝な顔をするばかり。「僕を心配する言葉をかけてくれたことはありませんでした」。当時から自分も兄と同じ病気なのだということはうすうす感じていた。しかし、両親の兄に対する口さがない物言いを目の当たりにしてきただけに、打ち明けることができなかった。

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