そして、こうした状況は高校を卒業した後も変わらなかった。
パチンコ店や年金事務所、IT会社、食品加工工場――。10カ所以上で働いたが、いずれも「1年半ほど働くと、糸が切れたように無気力になって、欠勤を繰り返してしまう。今までたくさんの会社に迷惑をかけてきました」とナツオさん。履歴書に正直に書くとするなら、自身の退職理由はほとんどが「欠勤からの契約打ち切り」だという。
うつ病については、20歳のときに精神科で正式に診断を受けた。思い切って両親にも伝えたが、母親から「そんなこと言うなら、私だってうつよ」と言われたことを覚えている。
細切れの非正規雇用で働き続けるナツオさんに対し、父親はたびたび「俺は二十歳で結婚して働いて子どもを育ててきた。それに比べてお前は……」と言って責めた。正社員として就職するようにともいわれていたので、本当は派遣社員だったが、正社員だとウソをついたこともある。また、失業中は両親からの小言を避けるため、終日ネットカフェで過ごした。そのせいでネットカフェ代だけで月6万円に上ったこともあったという。
借金の額は約250万円
両親と距離を置きたい。でも、経済的に1人暮らしは難しい。苦肉の策として、ナツオさんは両親に「家にお金を入れるので干渉しないでほしい」と伝え、毎月5万円を手渡すことにした。以来、両親との会話はほとんどなくなった。家庭内絶縁状態である。
とはいえ、こんな生活ではたとえ実家暮らしでも、やりくりは厳しい。結局消費者金融や友人などから借金を重ね、現在その額は約250万円になる。消費者金融の取り立ては意外と厳しく、毎月電話オペレーターから「約束も守れないんですか」「どういうお金の使われ方してるんですか」となじられる。ナツオさんは「『なんとか1000円(の返済)でお願いできませんか』と頭を下げるしかない。そのことが苦痛で仕方ありません」と言う。
自分よりも先にうつ病を発症した兄は1人暮らしをしながら生活保護を利用している。仕事はしていないという。
ナツオさんは両親のことを「若いころから働いて子どもを育ててきたっていうけど、年金も払えない収入しかないのに、子どもを持つなんて無責任だ」と激しく批判する。兄に対しても「兄は、私の収入の倍以上の金額を(生活保護費から)受け取っています。(医療扶助によって)治療に専念できているのに、病状がよくなる気配もない。それに比べて自分は働いているのに、(収入が十分ではないので)治療をたびたび中断しなくてはならない。兄がうつ病にならなければ、両親の期待が自分に向くこともなかった」と突き放す。
これがナツオさんの半生と家族への思いである。
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