「ドーナツキング」と呼ばれた男の波乱万丈人生 カンボジア難民がアメリカで栄光と挫折を知る
そんなテッドについて、フードジャーナリストのグレッグ・ニコルズは「皮肉なことに『ウィンチェルドーナツ』は自分たちの手で強力なライバルを育ててしまった」と指摘していたが、しかしテッドとアリソンの再会シーンは、どこか慈愛に満ちた、温かなものさえ感じさせる。そしてそんな「ウィンチェル」のドーナツをおいしそうに頬張るテッドの姿は感動的だ。
その後、カンボジアから、新天地を求めて多くの難民がアメリカにやってきた。テッドは100人以上のカンボジア人の家族のために、アメリカ移住に必要な身元引受人となり、彼らにドーナツ作りや店舗経営のノウハウを教え、彼らがアメリカで自立した生活を送るための手助けを行った。
そうやって同胞がドーナツ店のオーナーになる仕組みを作りあげたことで、彼自身もビジネスチャンスを広げ、「クリスティ」の店舗数も拡大。いつしか人は、彼のことを「ドーナツ王」と呼ぶようになった。
カリフォルニアには、業界大手のダンキンドーナツが何度か進出を図ろうとしたが、人件費の安いカンボジア系移民が経営するドーナツ店の牙城を崩すことはできなかったと言われている。そうした一大コミュニティーを作りあげた彼は、一時、総資産2000万ドルを有するほどの大富豪となり、アメリカンドリームを実現。この世の春を謳歌していた。
しかしそんなテッドに思わぬ落とし穴が――。
アメリカンドリームと団結力の物語をつくりたかった
テッドの波瀾万丈の人生を綴った作品の監督・撮影を務めたのはロサンゼルス出身の新鋭アリス・グー。彼女はヴェルナー・ヘルツォーク、ステイシー・ペラルタ、ロリー・ケネディらの下で撮影監督として経験を積んだ。
そんな彼女が、ひょんなことから、カリフォルニアのドーナツ店の多くがカンボジア系オーナーの店であることを知り、そこからテッドの人生を取材することを決意する。その中で、彼女の両親もまた、中国の共産革命から逃れるために、中国からアメリカにやってきた移民だった、ということに思いをはせることもあったという。
今回の取材を通して、1975年と、2019年(取材時)の移民や難民の共通点を感じたというグー監督は、「彼らをとりまく人たちの姿勢や指導力の差から目をそらすことはできなかった。この作品の制作をとおして、アメリカ人をとても誇りに思ったし、アメリカにおける理想、もっと厳密にいえば私の知っているアメリカの理想は素晴らしいと感じた。国が分断しているこの時代に、私はアメリカンドリームと団結力の物語をつくりたかった。この作品を観る人に楽しんでもらえますように。いろいろ言ってみたが、これはドーナツの物語。しかし、そこにはアメリカに逃れてきた人々の現実と、チャンスさえあれば実現可能な夢が映し出されている」と語る。
アメリカ人にとってドーナツは、ピザ、ハンバーガーと並ぶ国民食であるといえるが、映画の中でも「96%のアメリカ人がドーナツを愛している」とうたいあげている。多くの同胞から「テッドおじさん」と愛されるテッド・ノイの人生は、甘いだけでなく、どこかほろ苦さも感じさせるものがあるが、それでも彼がカンボジアの同胞たちのためにもたらした思いはしっかりと次の世代に受け継がれており、観客の心を温かくしてくれる。
(文中一部敬称略)
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