菅首相退陣「小渕」「小泉」「安倍」内閣との決定差 高支持率を保ったままで総裁選に臨めなかった

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しかし、小渕首相は3つの対策によって支持率を反転させることに成功する。まず、1999年1月に自由党と連立を組み、それ以降、法律成立に公明党の協力を得ることによって政権運営を安定化させる。

小渕内閣が発足した当時、自民党は参議院で過半数の議席を確保していなかった。このため、小渕内閣にとって法案を成立させることが難しかった。当時、金融機関の経営が動揺し、日本は金融危機に見舞われていた。この金融危機に対処するために小渕首相は野党が出した法案をほぼ丸呑みし、成立させることを余儀なくされた。

このため小渕首相は参議院で法案に対する支持を確保するために自由党と連立内閣を樹立する。さらに、この連立内閣に加わってもらうことも念頭におきながら、法案審議において公明党の協力を得る。

また、小渕首相は金融危機によって起きた景気の後退に財政支出の拡大や減税によって対応する。さらに、小渕首相は国民と直接接触する機会を作ることに並々ならぬ努力を払う。このため、農家を視察したり、対話集会を開いたり、学生や市民との討論会に参加したりした。さらには、「ブッチフォン」と呼ばれるように、経営者、ジャーナリスト、さらには一般国民と多くの人に直接電話をかけた。

こうした対策が実を結び、支持率は1999年1月から上昇し5月には40%を超えるようになる。このように支持率を高い水準としたうえで、総裁選に臨むことができた。

小泉純一郎首相のケース

次の例は2003年9月の総裁選である。この総裁選には現職の小泉純一郎首相に対し、高村正彦元外相、亀井静香前政務調査会長、藤井孝男元運輸相が出馬する。2002年1月の党大会で総裁選の規定は改められ、地方票を300とすることが決まった。

この総裁選では小泉首相が議員票194票、地方票205を獲得、1回目で過半数の票を確保し、勝利した。2003年に入ってから小泉内閣の課題はイラク戦争への対応であった。

2003年3月にイラク戦争が始まる。5月に終結すると6月に小泉首相はイラク復興支援のために自衛隊を派遣するために新法を成立させることを決断、7月に法律は成立する。自衛隊の海外への派遣は常に論争を招く政策である。

ただ、イラクへの派遣については朝日新聞社が7月に実施した世論調査では派遣に賛成46%、反対43%、日本経済新聞社の5月の世論調査では派遣のための新法制定について賛成48%、反対38%であった。この政策は支持率を大きく損なうことにはならなかった。2003年初めからの小泉内閣の支持率は高く、基本的に内閣不支持率を上回っていた。

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