菅首相退陣「小渕」「小泉」「安倍」内閣との決定差 高支持率を保ったままで総裁選に臨めなかった

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まず、なぜ首相が「選挙の顔」となることが現在の日本政治で重要なのか確認しておきたい。その理由は衆議院議員総選挙が政党本位で行われるからである。

現在の衆議院の選挙制度は小選挙区比例代表並立制である。選挙区の候補者は各政党から1人に絞られる。候補者が個人として実現したい政策や政治家としての資質を有権者に訴えるのはもちろんである。ただ、同時に政党を代表する面も強い。多くの有権者は所属している政党で投票する候補者を決める。また言うまでもなく比例区では有権者は政党に投票する。

選挙が政党本位で行われるため「選挙の顔」として党首の人気が政党の戦績には重要な意味を持つ。

1994年の政治改革ののち、自民党の総裁選で最初に総裁が「選挙の顔」になることができるかどうかが意識されたのは1995年9月の総裁選である。当時総裁だった河野洋平元官房長官の下で自民党は1995年7月の参議院議員選挙を戦う。しかし、選挙区、比例区ともに自民党の総得票数は新進党を下回る。このため、当時、世論調査で次期首相候補として人気が高かった橋本龍太郎通産相に「自民党の顔」としての期待が高まる。

1995年9月の総裁選に河野総裁、橋本通産相ともに出馬を表明する。しかし、河野総裁は最終的に辞退する。結局、総裁選は橋本通産相と小泉純一郎元郵政相の間で行われ、橋本通産相が圧勝する。

もっともこの総裁選が行われたとき、自民党総裁は首相ではなかった。

自民党総裁が首相の場合、自民党の「選挙の顔」となることが期待できるかどうか測るうえで大切な材料は内閣支持率である。内閣支持率が高いことは首相の人気が高いことを示唆し、低いことはその逆を意味する。

小渕恵三首相のケース

政治改革後、現職首相がフルスペック総裁選を戦った最初の例は1999年9月である。この総裁選には現職の小渕恵三首相に対して、加藤紘一前幹事長、山崎拓前政務調査会長が出馬する。この総裁選は国会議員票に加え、一般党員票1万票を1票に換算する方式で行われた。小渕首相は国会議員票253、党員票97を獲得し、過半数を獲得、再選を果たす。朝日新聞社による世論調査では総裁選が行われた月の内閣支持率は51%で、内閣不支持率の26%を大きく上回っていた。

しかし、小渕内閣が発足した翌月の1998年8月の支持率は32%と低く、不支持率の47%を下回る。また、その後、内閣支持率は20%台までに下降する。

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