際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である

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こんな場面を想像してみてください。

公園などにあるシーソー。そのシーソーの片側に自分だけが座っていても、何も動きません。どんなにもがいても、自分1人だけではシーソーは動きません。そこに必要なのが人とのつながりなのです。

多くの人は、自分が下にいる状態が不幸なのだと考えてしまうでしょう。そうではありません。

反対に、シーソーが上がって自分の身体が頂点に達したときだけが幸せでもありません。それでは、自分の幸せのために誰かの犠牲を要求することになります。「しあわせ」とは、シーソーが上に行ったり下に行ったりする過程の中で、刹那生じる中間地点にあります。誰かと何かを「なしあわせる」ことで生まれる一瞬のバランス状態。これが「しあわせ」の瞬間です。

よって「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです。「しあわせ」を感じる過程で、有頂天になったり、どん底の気分を味わうこともあるでしょう。でも、それこそが真ん中の状態を通り過ぎるための力点の1つになるわけです。

そして、シーソーをこぐ相手はいつも一緒の人である必要もありません。あなた自身も通りすがりで誰かのシーソーにいったん座っていることもあるでしょう。幸と不幸、光と闇というように二項対立で捉えがちですが、そう区別できるものではないのです。すべてが流れの中にあり、すべてが循環し、つながっています。

生きている限り誰かとシーソーをする

そう考えれば、未婚に比べて既婚の幸福度が高いのは、配偶者や子どもといったつねに「しあわせる」相手と何かをしていることによるものですし、未婚でも恋愛相手がいる人の幸福度が高いのも同じことでしょう。男性より女性のほうが全体的に幸福度が高いのも配偶関係によらず、女性のほうがコミュニケーションをとる回数が多いということかもしれません。

恋愛相手がなくても、オタク未婚男性の幸福度が高いのも、オタク趣味を通じて、誰かとつながり、誰かの役に立っている実感が得られるという、いわば「擬似恋愛・擬似子育て」行動だからでしょう。

「結婚すれば幸せになれる」「お金持ちになれば幸せになれる」という状態依存にとらわれていると、ますます自分を不幸に陥れます。「そういう状態にない自分は幸せではないのだ」と自己暗示にかけているようなものだからです。

私たちは、生きている限り、無意識に誰かとつかの間のシーソーをしています。仕事でも買い物でも、あなたの行動は何かしら誰かに影響を与えているものです。それもまた人とのつながりです。

人とのつながりは、最初は小さな点でしかありません。でも、その小さな点もつながりが増えることによって、1本の糸になります。さらにつながりが広がると、糸が交錯して、大きな布になります。まさに、中島みゆきさんの曲「糸」の歌詞そのままです。

「Be happy」ではなく「Do happy」へ。「幸せ」から「仕合わせ」へ。「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?

荒川 和久 独身研究家、コラムニスト

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あらかわ かずひさ / Kazuhisa Arakawa

ソロ社会および独身男女の行動や消費を研究する独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』(小学館新書)、『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』(ぱる出版)、『「一人で生きる」が当たり前になる社会』(ディスカヴァー携書)(ディスカヴァー携書)、『結婚滅亡』(あさ出版)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『超ソロ社会』(PHP新書)、がある。

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