逆に友からは「よくそんなに他人に気を使って生きてきたねぇ~、疲れない?」といわれたこともあります。そして「横にいるだけで疲れる」とも。幸か不幸か私は、母が誰よりも大切でしたので、その母の期待に応えたいとコンプレックスの塊をしっかり抱いて暮らしていました。
コンプレックスの塊の殻を破る過程は大変でした。友人・知人には未熟ゆえのみっともないことも随分さらけだしただろうと恥じています。何がどうだったと具体的に申し上げる事件があったわけではありません。今も自信満々というわけではなく、いくつもそれは抱えていますが、その塊は小さくなったと思います。
その原因の一つが、他人の目を気にしないと決めたことです。たとえば自分が意識しているほどには、他人は自分のことをいつもみているわけではありません。自分が他人をウォッチしていないように、ということに気づきました。
それに自信のない人やあるがまま以上に自分をよく見せようとする人は、言い訳や自分についての説明が長く、聞いていて白けることが多いですが、「あるがままの自分をどうぞ」と心をオープンにしている人には、それがありません。「足が地についている」人の生き方がとても格好よかったので、まねようと思いました。
まだまだお手本とした人たちには追いつけませんが、自分の心をオープンにすると相手も自然とオープンにできる人だけが残り、形式的なお付き合いがなくなったり、他者の目がどうでもよくなったりするものです。わかる人にだけわかってもらえればいい、という開き直りみたいなものです。
堂々と生きていきましょう
狩野様、法と道徳を犯さない範囲でも、人生はお互いに失敗続きで、注意深く生きても傷つけたりつけられたりは避けられません。「至らない母子です。何でも教えたり注意してください」という姿勢は示し、注意や指摘は謙虚にお礼を言って受け止め、あとはもっと貴女が堂々と生きて、育児をしましょう。
私など母の教育のせいで成人してもしばらくは、周囲の友すべてに対し「生きているだけで負けてます~」と、頭が上がらなかったのですよ。ホントですよ。
そのうえで、仮に幸雄くんが度を越して乱暴にふるまっているのであれば、他の子供に迷惑が掛かっているのみならず、将来の人格や、他人とうまくやっていけない性格になりかねないので、真剣に対応しなければなりません。ときに子供が成長過程で一時期示す、過度なわがまま暴力性が見受けられるのであれば、そこに関してはわが子の将来ためにも、厳しく教え諭さなければなりません。と同時に、自分が愛されている、という実感を同時に与えることを忘れることなく。
なお、私の4人の子供を振り返っても、小学生のときは非常にわがままでときに乱暴だったのに、ずっと愛情をかけて育てればそんな子に限って一番優しく育ちました。
厳しくしつけても、それ以上に愛情を感じさせていれば、厳しさから萎縮するのではなく、愛されている自尊心と協調性の双方が育つ、というのが実感です。
そう過度に心配されることなく、自信をもって、ときには厳しく、子供に愛情を注ぎ続けてください!
※ ミセス・パンプキンさんへの相談はこちら
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら