「死に目に会う」を重視しすぎる日本人の大誤解 亡くなる時に「一番大切なこと」はほかにある

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「私が医学部の学生のときに、父が末期がんになり、在宅で闘病していました。ある日、学校の図書館で勉強していると、母から『父の様子がおかしい!すぐに帰ってきて!』と電話があり、急いで家に戻りましたが、父はすでに亡くなっていました」

「永井先生の講義を聞いて、『亡くなる瞬間に誰かがみていなくていい』という言葉にハッとしました。私自身、そばにいてあげられなかったことをずっと引きずっていたのです」

「永井先生の言葉を聞いて、本当にそう思ったし、とても気持ちが楽になりました。『亡くなる瞬間はみていなくてもいい』という言葉は、家族の気持ちを楽にする言葉ですね。これから、看取りの際に必ずご家族にお話しします。悩み続けるご家族に『これでよかったんですよ』と声かけできるような、一緒に考えて納得のいく医療を提供できる医師になりたいと思いました」

私は、死を間近にした患者さんにとって、亡くなる瞬間に立ち会うことよりも、「穏やかに楽に逝けること」がもっとも大切だと思うのです。こうした考え方が広まれば日本の看取りの文化が変わり、自宅での看取りが増えていくのではないかと考えています。

看取りの「質」が重視される時代に

戦後、日本の医療は、早期に病気を見つけ、診断して治療することを目的に発展してきました。そして多くの人がその恩恵を十分受けてきました。
しかし、超高齢社会を迎えた日本では、「長生き」を目指す医療から、「いつか亡くなるその時までどう過ごしたいか」という、看取りの質を高める医療が求められていく、私はそう感じています。

病院で過ごすのか自宅で過ごすのか、治療方針をどうするかなど、選択に迷った時、患者さんご本人が意思決定できる状態であれば、私はこう尋ねます。「一分一秒でも長く生きるために、これからできる限りの治療を受けたいですか?」それとも「しんどい治療よりも心身が楽になることを優先し、穏やかに過ごしたいですか?」と。

前者であれば病院で治療を受け続けた方がいいかもしれませんし、後者ならば自宅や施設で積極的な治療を行わない自然な看取りという選択もあるでしょう。その人にとっての最善の選択は一人一人異なり、正解は、最期のそのときまで誰にも分かりません。

ただ、患者さんやご家族が、「その選択でよかった」と言えるよう、医療者も一緒に悩んで話し合います。私はこの悩む「過程」が在宅医療でとても重要だと思っています。

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