「死に目に会う」を重視しすぎる日本人の大誤解 亡くなる時に「一番大切なこと」はほかにある

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ところが、私たちは死に向き合う機会を持てていないように思います。私も自身が進行がんになったとき、初めて“死”を意識しました。これは日本の医療が「治すこと」を追求して発展してきたことが大きく影響しているように感じています。

「治すこと」を目指すが故に、病院では「自然のままに看取る」という選択肢を提示されることがほとんどありません。

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生まれることと死ぬことは、どちらも「人としての尊い自然な営み」です。最期の時が近づいたとき、どうすれば楽に逝けるのかを知っている人の体は、「死」の準備を始めます。それは植物も同じで、時期がくると自然に枯れます。

人も同じで、最期の時が近づくと、体が求めるままにうとうとと眠り、食べたいものを食べたいだけ口にします。食べられなくなったときは、無理に食べなくてもかまいません。それは、体が楽に逝くために体内の水分をできるだけ減らそうとしているのです。

もちろん、治せる病気には治療が必要です。しかし、老化や治らない病気でやがて訪れようとしている死と向き合わず、患者さんにとってつらい治療を続けるのは、患者さんにとってどうなのでしょうか。そこには「生き続けてほしい」という家族の思いと、「何もしないのは医療の敗北だ」と考える医療者の意識、両方があるように感じています。

「病院で最期」が世界一の日本人

数十年前までの日本では、家族を家で看取るのは自然なことでした。ところが、今の日本では8割以上の人が病院で亡くなっています。この割合は世界でも高く、病院で最期を迎える人の割合は日本が圧倒的に世界一です。

病院での看取りが常識となっている今の日本では、家族を自宅で看取った経験のある方はそれほど多くはないでしょう。本人や家族が家で最期を迎えたいと希望しても、実際にできるのか不安になる方もいるでしょう。家で看取るためには、まず、患者さんとご家族が医療者を交えて納得するまで話し合うことが大切です。

大切な人を亡くした後で、「家で穏やかに自然に見送る方法があったのだ」ということを知って後悔しないためにも、在宅医療という選択もあることを一人でも多くの方に知っていただきたいと願ってやみません。

永井 康徳 医療法人ゆうの森理事長 たんぽぽクリニック医師

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ながい やすのり / Yasunori Nagai

2000年に愛媛県松山市で在宅医療専門クリニックを開業。職員3人、患者ゼロからスタートする。「理念」「システム」「人財」において、高いレベルを維持することで在宅医療の「質を高めること」を目指してきた。現在は職員数約100人となり、多職種のチームで協働して行う在宅医療を主体に入院、外来診療も行う。2012年には市町村合併の余波で廃止となった人口1100人の町の公立診療所を民間移譲した。このへき地医療への取り組みで、2016年に第1回日本サービス大賞地方創生大臣賞を受賞。全国での講演会や専門職向けの研修会など、在宅医療の普及に積極的に取り組んでいる。

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