「元気があれば何でもできる!」というのは私の大好きなアントニオ猪木氏の至言だが、まさに私は身をもって、その至言をリアルに生きることになったのである。はっきり言って最強だ。この安心と余裕を前にしては、ナイトライフなどあまりにちっぽけな快楽であったと思う今日この頃である。
そしてこうなってみて改めて実感したのは、かつての私、すなわち「やりたいことをガマンしたくない」が為に、延々と不健康な生活を続けてきた私は、その結果「体調の悪さ」というものを、つまりはいつも体が重くてだるくて胃がむかつき時に頭が痛く……という状態をずっとずっとガマンしていたのだということである。
ただそれがあまりにも常態化していたために、我慢していたという自覚すらなかったのであった。しかし一旦健康な状態というものを味わってしまった今となっては、そのガマンがいかに自分の人生を損なっていたかを考えずにはいられない。となれば「やりたいこと」の中身を慎重に吟味せずにはいられない。
目先の小さな欲のために、あの不愉快なガマンの時間を延々と過ごすことを思えば、中途半端な「やりたいこと」など、一気に「やりたくないこと」に格下げである。
「わかりやすい快楽」の落とし穴
そう結局のところ、すべては選択の問題にすぎなかったのだ。健康という快楽を取るか。不健康という快楽を取るか。健康であり続けるのが修行ならば、不健康であり続けるのもまた修行である。どちらを取るかは個人の自由である。
それからですね、ストイックな生活で人生の楽しみが失われるのかという問題ですが、これもまったくそうじゃなかったということを知る。
驚いたことに、人生には「健康的な生活をしながら楽しめるもの」がたくさんあったのだ! それが証拠に、私の人生は今、楽しみでいっぱいである。
ピアノを弾くこと、書やお茶を習うこと、文章を書くこと。ものを使い捨てずに奇天烈な何かを作ること、ベランダで下手な家庭菜園を楽しむこと、近所の木々や鳥を愛でながら意味もなく散歩すること。近所の人たちと仲良くすること。銭湯にゆっくり浸かることーーどれもこれもこのうえない楽しみであり、ああもっと時間があったらなあと思う。
つまりは3点セットを実行したところで、私は何も失わなかった。健康を手に入れるために生きる楽しみが無くなるとか減るなんてことは、もう一切、まったくなかったのだ。
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