哲学者が語る「人がサイボーグになる」の深い意義 「ゼロ地点に立ち返る」ネオ・ヒューマンの思考

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でも、実際にそれをやろうとすると、難しい。自分がその前提にとらわれているわけですから、自分が自分であること自体を抜け出していくことにもなります。教育をたくさん受けたからできるわけでも、お金持ちだからできるわけでもありません。

その意味では、完全に平等だと思います。でも、平等に難しい。誰にでもできるけど、誰にとっても難しいのです。しかし、それをやることによって新しいものは生まれるわけですね。

原理的には、私たちにも、日々の生活のなかでそれをやろうと思えば、きっかけは見つけられると思います。このように話をしているなかでも、既存の構造のなかの世界だけに終始しているのかというと、そうではありません。

話を展開していく中で、新しいものが生まれることもありますよね。ささいなことかもしれませんが、そんなささいなことの積み重ねが大切なのではないかと考えています。

「自分のマインドセット」にもとらわれない自由

ピーターさんの思考には、社会のルールのみならず「自分のマインドセット」という枠組みにすらとらわれない自由があり、その点もすごいと思います。

「自分自身である自由」といった表現がありますが、この「自分自身」と言ったときのその中身も、哲学的問題です。

自分というものは、社会関係の中でできあがっている部分がどうしても含まれます。「本当の自分」や「自分自身」と言ったときには、「幼少期から現在までの経験でできた自分」という位置づけで、自分を枠づけてしまうところもあります。

ピーターさんにとっては、「自分自身である」というのは、「枠組みを壊していく自分」ということですね。自分自身という枠組みさえも壊して、そこから抜けることによって、ネオ・ヒューマンになってしまうというものですから、彼の自由は、「究極の自由」と言ってもよいでしょう。

この本がなぜ面白く読めるのかというと、彼はALSという立場でありながら、彼の挑戦はある種の普遍性を持っているからです。

病気とは縁のない人が読んでも、ポジティブに自分の問題を解決していって、既成概念を壊し、壊すことによって新しいものを作っていくのだというピーターさんの姿は、普遍性を持って感じられる。ALS患者だけではなく、広く一般にも応用できますね。

こういった哲学的思考は、マイノリティーだからできるということでもないと思いますし、勉強すれば獲得できるものでもないと思います。やはり、社会と自分との関係をもう一度考え直してみて、これでいいのだろうかと疑問を持ち、考える過程から生まれるものでしょう。

格差の問題や政治的な対立、環境問題やグローバル経済の行き詰まりなど、いまの社会はさまざまな課題を抱えており、多くの人が「この社会のルール」の限界に気づき始めています。

こんなときこそ、「知っている・知らない」の教養としての哲学ではなく、ゼロ地点に立ち返って考える「哲学」を実践してほしいと思います。それによって、社会のルールや自分自身のマインドセットという枠組みを疑い、より良いものにしていく。本書は、そのよい実践例になると思います。

(構成:泉美木蓮)

荒谷 大輔 江戸川大学基礎・教養教育センター教授

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あらや だいすけ / Daisuke Araya

専門は哲学・倫理学。1974年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。主な著書に、『西田幾多郎』(講談社)、『「経済」の哲学』(せりか書房)、『ラカンの哲学』(講談社選書メチエ)、『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)などがある。

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