哲学者が語る「人がサイボーグになる」の深い意義 「ゼロ地点に立ち返る」ネオ・ヒューマンの思考

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80~90年代の日本では、ALSと診断がつけば「余命2年」と言われ、人工呼吸器の案内も十分にされない状況にあったといわれます。そこから徐々に医療の意識も変わってインフォームドコンセントも浸透し、かつてよりも状況は変わってきました。

そんな中で、日本でもALS患者を「サイボーグ」とポジティブに捉える考え方も出てきましたが、それでもそれは、悲劇の中に小さなやすらぎをもたらす程度のもので、本書がもつ力強さとは対極に置かれるものだったと思います。

荒谷 大輔(あらや・だいすけ)/江戸川大学基礎・教養教育センター教授。専門は哲学・倫理学。1974年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。主な著書に、『西田幾多郎』(講談社)、『「経済」の哲学』(せりか書房)、『ラカンの哲学』(講談社選書メチエ)、『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)などがある(写真提供:筆者)

実際、ALS患者の置かれている状況は過酷で、例えば日本でALSの団体を立ち上げたある方は、人工呼吸器をつけるかどうかの判断で非常に迷われました。ご自身の病状の進行がたまたま遅かったことから、同じALSの方々を支援する活動を展開され、人工呼吸器をつけることが単なる無駄な延命ではなく、さまざまな創造性や関係性を生み出す手段となるという啓蒙をされました。

そのことで医療の側の意識も少しずつ変わっていったわけですが、それでもご自身がいよいよ人工呼吸器をつけるかどうかという段階にまで病状が進行したときは「つけない」という選択をされてお亡くなりになったのでした。

ふとしたことで人工呼吸器が外れてしまい、動かない体で誰にも気づかれずに苦しんで死ぬ恐怖、生活を支えるために多くのサポートを必要とすることの後ろめたさ、生命というものについての考え方など、人工呼吸器をつける/つけないということは、非常に多くの迷いの中で選択を迫られるものだったのです。

こういった経緯を考えると、ピーター・スコット-モーガンさんのポジティブさは稀有なものです。実際にその選択をして、さらに本書に書かれている、これだけのことを成すというエネルギーがある。しかもそれが、「人間」という枠組み自体を超えていくことだと捉えているのです。これは単純にすごいと思います。

ピーターさんは、既存の価値観を疑ってみて、考え直し、自らサイボーグになることで、ALS患者にとってのポジティブな選択肢を増やしたわけですよね。そうした意味で彼の営みは、まさに本来の意味での「哲学」を実践されていると思いました。

「この社会」のルールを疑う

いま、社会はいろんなところで煮詰まってきています。イデオロギーも硬直化し、対立が深まっている状況です。こんなときこそ、既存の価値観を疑い、それを社会の発展につなげていくピーターさんのようなあり方は、多くの人に勇気を与えるものだと思います。

どんな社会にもルールがあり、私たちは誰しもがそれに強く影響されています。社会の中で生きていながらそのルールから自由でいるのは、そう簡単ではありません。

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