今はコロナ禍で飲食店が大きな打撃を受けているが、それ以前、新橋に集まってきていたビジネスパーソンの多くは、東側の汐留、西側の虎ノ門と、いずれも再開発によってオフィスビルが林立したエリアからやってきていたはずだ。
どこにでもある、金太郎飴のような無機質な再開発ビルが建って、果たしてそこに魅力が感じられるものかどうかはわからない。ビジネス街なら東京の至るところで計画されている。
リモートワークの普及によって、オフィス需要は今後、大幅な減少も予想される。雑然とした古びた街、夜空を見上げられる広場こそ、今後のストレス社会に必要な「安らぎ」ではあるまいか。今の新橋駅周辺が、時代に取り残されているとは決して思わない。
残してほしい「新橋らしさ」
再開発は2022〜2023年頃の完成が見込まれていたが、コロナ禍によって、現在のところビルの解体のような目に見える進捗はない。建て替えはやむなしとしても、ぜひ「新橋らしさ」は未来へ受け継いでほしいものだ。
鉄道にとっても新橋は聖地だ。日本で初めての本格的な営業用鉄道は1872年、新橋と横浜(現在の桜木町)の間に誕生した。このときの新橋駅は1914年の東京駅開業時に汐留貨物駅となり、1986年に廃止。跡地は国の史跡となり、開業当時の駅舎を復元した「旧新橋停車場」が建てられた。それ以外の敷地は、現在の汐留シオサイトである。
1900年発表の鉄道唱歌が歌った「汽笛一声、新橋を」とは、旧新橋駅のほう。今の新橋は1909年に烏森として開業した駅だ。烏森は花街で、明治の初めから1960年代までにぎわった。やはり花街として今に続く新橋(現在の銀座7・8丁目付近)から分かれたところだ。
こうした土地の文化を、象徴的かつ表面的なデザインだけではなく、本質的に継承していかない限り「どこにでもある街」になってしまう。高層オフィスビルを林立させただけで、果たして新橋駅前に似合うものだろうか。「水清ければ魚棲まず」だ。
むしろ新しいビルも、飲食店を中心とする小規模な事業者が多数、安価に入居できるところ。SL広場も、夜はいつも屋台が集まる場所としたほうが新橋らしいのではないか。東京は、事業を始めるには費用がかかりすぎる街だ。若く意欲のある人が旗揚げしやすい場所として、新橋を選んでもらえるようにするのも手かと思う。
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