「リベラルであること」の難しさとは何か? 湯浅誠×乙武洋匡 リベラル対談(前編)

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湯浅:この本の中で、乙武さんがスポーツライターから教育分野に転身するきっかけとして、2003年と2004年に起きた、少年少女による幼児や同級生の殺人事件を挙げていますね。もちろん被害者はつらいけれど、加害者も苦しかったのではないか。周囲にいた大人が子どもたちの発するSOSのサインに気づき、軌道修正していれば、こうした事件を起こさずに済んだかもしれないと。

乙武:僕らはどうしても表面的なところばかりに目を向けてしまう。でも、「どうしてそうなったのか」という裏側にも、もっと目を向けていくべきだと思うのです。

湯浅:世の中、なかなか殺人事件の加害者の身になって考える人は少ないと思うのですけど。

乙武:それは自分の境遇が大きく影響しているのだと思います。『五体不満足』が出版されて、多くの方が僕のことを評価してくださるようになった。でも、そこに違和感があったのです。「自分はそんなに褒められるような人間ではない。もし褒めていただくとしたら、それは僕の周りだ」と。

僕の周りの人が、僕をつくってくれた

湯浅:周りとは?

乙武:両親や学校の先生方、クラスメートや近所の方々。みなさんから見えているのは僕ひとりなので、「乙武さんがすごい」となりますけど、その乙武洋匡をつくりだしたのは、やはり周囲にいた人々だったわけです。

湯浅:そうですね。

乙武:少年犯罪においても、同じことかなと。僕らに見えているのは11歳、12歳の子供が人を殺したという部分だけです。でも、そこに至るまでの経緯にも目を向けたら、また違うものが見えてくるはずだ。そんなふうに考えるクセがついたんですよね。

湯浅:よくわかります。私が自分自身と社会との関係を考えるようになったのは、ホームレスの人と付き合ったり、生活に困っている人の相談を受け始めたりしてからですね。あるときに、それこそ私はなんとかなると思えるけれど、「なんとかなるとはどう逆立ちしても思えない人が、世の中にいる」という事実を、知ってしまった。

乙武:なるほど。

湯浅:逆に、なぜ自分のことはなんとかなると思えるのだろうと振り返ってみると、私には「溜め」があったなと。つまり家族や友人や経済環境など、自分を支えてくれるもの。私はそれを「溜め」という言葉で表現するようになったのですけど。そこで初めて「自分にとって当たり前だと思っているものを持たない人がいる」と気づいたんですよね。

乙武:その「溜め」がないと、人々は「何ともならない」と感じた。

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