「リベラルであること」の難しさとは何か? 湯浅誠×乙武洋匡 リベラル対談(前編)

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乙武 洋匡(おとたけ ひろただ)●1976年4月6日生まれ。東京都出身 A型 大学在学中、自身の経験をユーモラスに綴った『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼び、500万部を超す大ベストセラーに。2005年4月から東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」として教育活動をスタートさせる傍ら、明星大学の通信課程に学び、2007年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月から2010年4月まで杉並区立杉並第四小学校教諭として勤務し、3・4年生を担任した。現在は、メディアを通して教育現場で得た経験を発信していく活動を柱としている。

乙武:もうひとつは僕の生まれつきの性格が、目立ちたがり屋だったこと。車イスに乗っていて、ましてや手足がないとなると、みんな僕を見ますよね。誰が悪いとかじゃなくて、物珍しいものには自然と目が向くのが人間の本能だから。でも、普通は自分が目立つのは「いやだ、恥ずかしい」という人が多いし、おそらくお兄様もそうだったのだと思います。

そうすると街に出るのがおっくうになったり、「この人は自分に対してどういう視線を向けるんだろうか」と、他人の様子をうかがうようになってくる。これは当然だと思うんですよね。

湯浅:そうかもしれないですね。

乙武:ところが僕の場合は小さい頃から、目立ったり、注目を浴びたりすることが嫌ではなかった。だから「じろじろ見られて大変だったんじゃないですか」「嫌な思いをされてきたんじゃないですか」とよく聞かれるのですけど、どちらかと言えば「目立ってうれしい」くらいに思っていたんですよね。

湯浅:ほう。物心ついたときから目立つのが好きだったのなら、それって先天的なものなんですかね。

乙武:そうかもしれません。この2つは僕の自己肯定感の形成に、決定的に大きかったと思います。

湯浅:本にはずっとそのままで大人になったと書いてありますが……。

障害者であるより、有名人であるほうが大変

乙武:もっと正確にいうと、『五体不満足』(講談社文庫)がベストセラーになるまでは、視線を浴びることへの抵抗は特になかったのです。障害者であるということを差し引けば、普通に生きてきたわけですから。ところが、自分がいわゆる“有名人”になると、視線の質が変わってくるのです。

湯浅:どう変わりました?

乙武:今までは「未知との遭遇」みたいな視線を向けられてきた。それに対しては何の抵抗も感じていなかったのですが、今度は「既知との遭遇」になるわけです。「ああ、あの乙武さん」だと。そして一方的に写真を撮られたり、サインをせがまれたりするようになった。

湯浅:しんどかったんじゃないですか?

乙武:一般の方からお声がけいただくのはまだよかったのですけど、出版後、しばらくは週刊誌にずっと張られていて、家の前3カ所くらい、あっちの電信柱とこっちのコインランドリーに誰かがいてこっちを見ている。つねに監視をされているような感覚。

湯浅:それはつらい。

乙武:そういう生活が1年、1年半と続いたとき、原因不明の頭痛と吐き気に悩まされるようになりました。病院に行ってひととおり検査しても原因がわからなくて。

湯浅:そこで初めて、目立つことの大変さを知ったということですね。

乙武:目立つって、そう楽なことばかりでもないな、と(笑)。

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