61歳科学者「人類初AIと融合」余りに壮大な生き方 難病ALSに見舞われた彼が挑むとてつもない賭け
個人的な話で恐縮だが、私は子どものころに大怪我をし、後遺症で歩き方におかしな癖がついた。だからずっと、そのことを気にしながら生きてきた。障害者手帳をもらおうかと考えたこともあったのだが、医者に診てもらっても、返ってくるのは「障害とはいえない」との答え。
そんな中途半端な状態が続くなか、ある整形外科医が、特定の動きをすると痙攣する私の足先を見てこうつぶやいたのだった。
「クローヌスが出てる」
それ以来、クローヌスという単語が頭のどこかに貼りついてしまったため、この部分を読んで「ピーター氏も、自分と似た境遇にいるのかもしれない」と感じたわけである。
だが結果的に、それは違っていたようだ。クローヌスという共通項があるとはいえ、そこから先が大きく異なっていたからだ。具体的にいえば私の場合は、その症状がたまに出たり、歩き方に癖があったりする程度で、日常生活に支障はない。自転車であちこち走り回っているし、大好きな車の運転にも問題はない。
しかしピーター氏にとってそれは、ひとつの兆候でしかなく、事態はもっと深刻だった。最終的に行き着いた診断結果は運動ニューロン疾患(ALS)であり、余命2年の宣告を受けたのである。
“人間である”ことの定義を変える
あと2年しか生きられないと知ったら、人はどう感じるのだろう? 自分ごととして考えてみても、少なくとも冷静ではいられなくなりそうだ。だが、ピーター氏の考え方は違っていた。
恐怖や怒りや絶望に苛まれながらも、同じくらいに興奮や喜びや希望も感じていたというのだ。しかも次第に、新たに湧いてきたポジティブな感情のほうが優位に立ち始めたのだという。
統計的には、私はあと2年で死ぬことになる。つまり、未来を書き換え、世界に革命をもたらすのに、あと2年の猶予があるということだ。
行く手には戦いに次ぐ戦いが待ち受けていることだろう。生死を分かつような戦いに違いない。結果は2つに1つ。私たちが勝って世界のあらゆるルールを変えるか、あるいは無惨に打ち負かされるか。休戦はありえない。しかし、敗北もありえない。(100ページより)
では、具体的にどうしようというのか? この問いに対するピーター氏の答えは、一般的な感覚からすれば荒唐無稽としか思えないものだった。
ロボット工学の分野で博士号を持つ立場として、自身の病状を“実地で研究を行う、またとない機会”と解釈したのだ。つまりは自分の体を実験台にして、身体機能の拡張に関する最先端の研究を行おうという発想である。
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