「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか
市井の人である清沢はこの事実を知る由もないが、彼の批評眼は事実を鋭く突いていた。
東條首相は開戦時の演説「大詔を拝し奉りて」で、「およそ勝利の要訣(ようけつ)は必勝の信念を堅持することであります」と強く国民に訴えた。科学的な検証に目を背け、神風頼みで勝利のみ信じよと国民に迫るのは、とても責任あるトップの言動ではない。国民には仏のような顔を見せていた軍人、役人だが、『暗黒日記』では文字どおり暗闇の中でうごめく鬼と、その正体が暴かれている。
いまわれわれに問われるもの
皇室と日本を深く敬愛した清沢だが、国民に対しては期待と失望が織り交ざっていた。
と手厳しく国民の未熟さを指摘するときもあれば、次のように将来の期待を示すこともあった。
われわれはこの清沢の期待に応えたい。しかし彼の指摘するわれわれの愚かさのほうが正鵠を射ているように思える。清沢は76年前に今日のわれわれのことを見通していたかのようだ。
いまだに愚かさの先行するわれわれは、努めて自らの行動を慎まねばならない。われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない。
2021年8月15日、終戦から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の悲劇をけっして記憶から消してはならない。この悲劇とともに、今もなお、おろかで動物の血を宿しているわれわれの危うさを肝に銘じておくべきだ。
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