「分かち合い」の経済学 神野直彦著 ~異端の思想が語る人間の未来
「私の思想は、異端である」と著者は述べる。しかし、その異端とは著者が謙遜するような「世には受け入れられることのない異端」ではない。
理論経済学者の宇沢弘文氏の言葉を借りるなら、「現実におきつつある経済的、社会的問題をもはや解明することはできなくなってきた正統派の考え方を批判し、否定し、そこに新しい方向を見出そうとする」(同氏訳、ジョーン・ロビンソン『異端の経済学』あとがき)、歴史の画期(分かれ道)に期待される異端である。
著者が批判する新自由主義という名の正統派は「競争原理にもとづく市場経済」を、商品の分野だけではなく、共同負担によって共同の困難を解決する財政にまで一元的に拡大し、「分かち合い」を否定して人間が生きる基盤の破壊を続けてきた。
同時に、新自由主義の常套手段である規制緩和や民営化は技術革新に果敢にチャレンジする企業よりも、人件費を削減し人間を切り捨てる「無慈悲な企業」の活動を奨励し、新しい産業の創設へと向かわない資金は「国際的過剰資本」と化して、世界各地で金融投機を引き起こし最終的にはアメリカ発の経済恐慌にまで発展した。
しかし、新自由主義による「危機の30年」がもたらした今回の「絶望」には、回復に10年以上の年月を要し世界大戦という破局まで招いた1930年代の大不況と違い、「希望」が潜んでいると著者は言う。それは、単に耐え続ければ「危機から脱出できるという受動的な希望」ではなく、「シジフォスの神話のような、失敗しても失敗しても挑む敗者の頑張りが抱く能動的な希望である」。