「混沌としたエリアが好きで、錦糸町や亀戸にハマっています。経験がある人があまり狙わない場所なので、乗り場で待っていても全然回ってくる。このあたりは千葉方面への長距離のお客様もいるんですよ。
兄貴肌な方がけっこう多くて、だいたい『若いね、イケメンだね』と声をかけてもらえます。実は俳優もやっていて、と伝えると応援してもらえたり。どことなく街の雰囲気も故郷の姫路に似ていて、気質的にもやりやすい。東京に来てから、好きになった街の1つになりました」
ドライバーになってからは、月12日の隔日勤務で自由な時間もできた。予定されていた舞台やオーディションは軒並み中止となった影響で、空いた時間にYouTubeチャンネルを開設し投稿を始めている。
その一方で新たな悩みも生まれた。コロナで先行きが見えない芸能活動を続けるか、ドライバーに本腰を入れるべきか、というジレンマも感じているという。
「年齢も重ねてきて、役者として勝負できるリミットも迫ってきた。ドライバーになって1年半弱が経ち、仕事の両立ができることが分かり、自分なりのライフバランスも見えてきた。もちろん売れてタクシーを辞めるのが理想なんでしょうが、そう甘い世界でもない。一度タクシーを辞めて、また戻ってくるという選択肢も考えている。いずれにしろ夢を見続けたいならタクシーの仕事に身を置くというのは良い選択肢じゃないかな、と個人的には思いますね」
人前で歌う機会を失った
「プロの歌手として成長するためにタクシードライバーになりました」
當山りえさん(26)は、力を込めてこう話す。埼玉県富士見市で育った當山さんが歌手を目指すと決意したのが11歳の時。スティビー・ワンダーに憧れ、ブラックミュージックを中心に聴き漁り、人前で披露するのを好む子供だった。
県内の芸術系の高校に進学後は、高校生ながらすでに芸能事務所に所属し、ライブハウスで音楽活動に勤しんだ。
卒業後は、単身アメリカに渡り路上や飲食店のショーなどで腕を磨いた。帰国後は、アルバイトを掛け持ちしながらユニットを組み、アルバムもリリースしている。5000円を超えるライブが完売することもあったという。
しかし、新型コロナの影響でライブハウスでの活動は困難となったのだ。人前で歌う機会がなくなった當山さんの収入は減り、音楽中心の生活すら考え直すことを余儀なくされた。
「25歳を超えてから、『おまえはもう若くないからな』と周囲からも言われるようになりました。そんなタイミングでコロナが起きて、外での音楽活動に制限がかかり、今後どうしていこうか考えるようになったんです。音楽を続けるにはお金も必要ですから」
自身の職歴を見返すと飲食店でのバイト経験しかなかった。試しに正社員の仕事を探してみたが、大半が書類で落とされて採用には至らない。そんな折に人材紹介会社から薦められたのが、コンドルタクシーだった。
「音楽活動や芸能活動をしながら仕事をしている子が多くいる会社がある」という甘言を100%信じていたわけではない。だが、実際に面接を受けてその印象は変わった。
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