自室の電話回線にモデムという機器をつなぎ、それとPCをまたつなぎ、ネットにつながった瞬間、モデムが「ガーーー! ピーーー!」という奇音を発し、PC画面の中で、Netscape(ブラウザの名前)の上で、画面がゆっくりゆっくりと現れるのを、じーっと待った経験のある世代。
「世界とつながった!」という、あのときの劇的な高揚感は生涯忘れられない。ビートルズに関する「ニュースグループ」で、慣れない英語を駆使してトリビアで交流したり、HTML言語を「手打ち」して、簡素なホームページを立ち上げて、見知らぬ読者から感想をいただいたり。それ以前に、ラジオ番組にメールでリクエストすることですら、ドキドキしたものだ。
そんなわれわれは、ネット社会が、ワクワクする高揚感を与えるものから、(主にSNSの爆発的普及によって)炎上や同調圧力、フェイクニュースの飛び交う窮屈なものに変容する過程も、つぶさに見てきた世代でもある。
しかし、それでも差し引きすれば、高揚感の記憶のほうが上回る。そして、ネット社会の未来についても、いずれは窮屈な部分が制御されて、リアルな自分らしさを拡張する方向に進展していくと、楽観的に信じているふしがあるのも、あの劇的な高揚感の残存効果だ。
ネット社会は今後どんな存在になるのか
「子どもたちには目の前の世界をちゃんと肯定的にとらえてほしい」「ずっとネットを肯定的に描いてきた世界で唯一の監督」という細田守の発言には、上で述べた私の感覚と通じる。少々恥ずかしいのを承知で白状すれば――60年代後半生まれの「ネット第一世代」は、ネットの可能性をまだまだ信じているのだ。
『竜とそばかすの姫』に話を戻せば、「ネットとリアルの対立と融合」というテーマは、このように今っぽく、かつ深いものである。そういう意味で『竜とそばかすの姫』は、「今見るべき映画」だとも思う。
もしかしたら私が、作品冒頭の<U>の映像に、一気に心奪われたのは、90年代後半の自室で、ゆっくり動くNetscapeを、ワクワクしながら見ていた記憶とシンクロしたからかもしれない。
ネット社会が、とりわけ子どもたちにとって、健全な高揚感を与えるものになれるかどうかについて、大人たちの責任はとても大きい。そのためには、まず私たち「ネット第一世代」が、クライマックスにおける主人公・すずのように行動するべきだと思う。
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