来年50歳!木村拓哉が「キムタク」を自称するまで SMAP解散から4年半、俳優業と歌手業に邁進中

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お笑いコンビ・EXITのりんたろー。は、かねて木村拓哉の大ファン。自らのYouTubeチャンネル「EXITりんたろー。のYouTubeチャンネル」では、「キムタクになりたいシリーズ」と題し、ドラマなどで木村拓哉が身に着けていた洋服やアクセサリーのブランドショップに行き、爆買いする企画を続けている。なかには、『ビューティフルライフ~ふたりでいた日々~』(TBSテレビ系、2000年放送)で木村拓哉が乗っていたバイクを買おうとしたことまであった。

EXITの2人は、『Flow』にも2021年3月のマンスリーゲストとして出演。2人のこれまでの人生やコンビ結成の経緯、これからの夢などの話で大いに盛り上がったが、そのなかで木村拓哉が、今後のEXITの活動を見守り、大切な節目で相談に乗る“最高顧問”就任を依頼され、引き受ける場面もあった。

同じジャニーズの河合郁人(A.B.C-Z)などもそうだが、このように木村拓哉に憧れて育った世代、いわば「キムタク世代」が、同じ芸能界の一線で活躍する時代になった。

かつて木村拓哉が『開放区』(2003年発売)というエッセイ集で、「“キムタク”って、どうやら公共物らしい」と書いたとき、そこには自分という存在が自分の手を離れて大きな社会現象にまでなっていることへの戸惑いと苛立ちが感じられた。しかし、実はそのときすでに、りんたろー。のように、「キムタク」への純粋なリスペクトを抱く世代が育ち始めていた。そしてその世代が、同じ芸能界でともに仕事をする時代がいま到来している。

木村拓哉が「キムタク」を受け入れるとき

つい先日の『木村さ~~ん!』で、こんな場面があった(2021年7月4日配信回)。人気ゲーム『桃太郎電鉄』を初めてやるという木村拓哉が、ゲーム上の名前を付けることになった。すると4文字まで大丈夫と聞いた木村拓哉は、自ら「キムタク」を選んだ。驚くゲストのヒャダインとみちょぱに対し、彼は「EXITで慣れました」と返して笑いを誘っていた。

もしかするとまだ違和感はあるのかもしれないが、こうしたかたちで木村拓哉自身、「キムタク」という記号と上手く遊ぶことができるようになりつつあるように見える。そうした意識の変化のなかで、SMAP時代から培ってきたバラエティスキルが活かされる場面も、これからさらに広がるのではないだろうか。

改めて芸能界を見渡してみても、俳優や歌手のようなアーティストとして最前線に立ち続けると同時に、ここまでバラエティを達者にこなすタレントとしての経験値を積んだ存在は、きわめてまれだろう。木村拓哉が時代の象徴として背負ってきたものの大きさは余人には計り知れないが、そんな稀有な存在として、これからどんな新しい一歩を踏み出すのか、いまこそ注目したいと思う。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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