徳川慶喜の後ろ盾「孝明天皇」なぜか知られぬ実像

幕末の超重要人物であり、激しい攘夷論者

それにしても、孝明天皇が外国との通商をこれほどまでに拒んだのはなぜだろうか。

一つには、京から出たことすらない孝明天皇にとって、外国の存在があまりに遠く、異質なものだったということが挙げられるだろう。外国人や外国船は恐怖でしかなく、だからこそ異国人への嫌悪感を募らせたようだ。

それだけではない。孝明天皇の「異国嫌い」に拍車をかけた人物がいる。その人物とは、水戸藩の第9代藩主、徳川斉昭(徳川慶喜の実父)である。のちに「烈公」と呼ばれるほど、荒々しい気性を持つ斉昭は、強硬な尊皇攘夷論を唱えたことで知られている。

ハリスと将軍が謁見したときには、こんな暴言を吐いた(『昔夢会筆記』)。

 「堀田に腹を切らせ、ハリスの首をはねろ!」

斉昭もすぐに外国を打ち払えるとは考えていなかった

ただ、実際のところ、斉昭は国防意識を高めるためにあえて過激な攘夷を主張していたにすぎなかった。斉昭とて、ただちに外国を打ち払えるとは考えていなかったことが、当時の老中、阿部正弘への手紙などから明らかになっている。

愛国心から危機感をあおった斉昭だったが、過剰な物言いは、ペリーが来航したときに、すでに発揮されていた。ペリー一行の動向について、斉昭は姉婿にあたる関白の鷹司政通への書簡で、こんなふうに綴っている。

「実に失礼の所業、皇国を軽侮の事、申す条無し」

ペリーの態度は失礼極まりなく、日本を侮辱している――。斉昭からすれば、公家の恐怖心をあおり、国防の意識を高めたかったのだろうが、書簡は孝明天皇のもとにもわたる。

ただでさえ、未知の恐怖から嫌悪していた異国人のことだ。国内で傍若無人に振る舞っていると斉昭から知らされて、異国人への憎悪をさらに募らせたことだろう。そんな孝明天皇からしてみれば、外国人の貿易と居住も認めるような、日米通商修好条約を結ぶことなど論外だった。

しかし、幕府は勅許を得ることなく、条約を締結。孝明天皇の抵抗は完全に黙殺されることになる。それを聞いた孝明天皇は、左大臣、右大臣、内大臣の三役らに「天皇の位から降りる」と伝えるほどの怒りを見せた。それが、安政5年6月28日のことである。

このとき、孝明天皇は想像すらしなかっただろう。これほど自分をコケにした徳川家の中から、心から信頼を寄せられる人物が現れて、運命をともにするとは――。

孝明天皇が、最後の将軍となる徳川慶喜と初めて対面するのは、それから5年の月日が経った頃だった。

第2回につづく)

【参考文献】
宮内省先帝御事蹟取調掛編『孝明天皇紀』(平安神宮)
日本史籍協会編『一条忠香日記抄』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝 全4巻』(東洋文庫)
福地重孝『孝明天皇』(秋田書店)
家近良樹『幕末・維新の新視点 孝明天皇と「一会桑」』 (文春新書)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜 将軍家の明治維新 増補版』(中公新書)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(講談社)

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