あまりに複雑「ワクチン後の世界」の人付き合い ワクチン派vs反ワクチンだけじゃない対立続出
接種会場まで20キロほどの道が、接種を受ける車で完全渋滞し長蛇の列だった。その道端には、数多くのホームレスの人々がマットレス上や路上に寝ており、さらに、ずらっと並ぶ車目当てに路肩でフルーツや家具を売る商人、ヤードセールをする住民が入り乱れている。また、隙あらば順番を横入りしようとする車がいて気が張り詰める。
3時間半ほどじりじりと長蛇の列に車で並んでやっと接種の順番が来た。接種後、会場を後にすると、笑い出したいぐらいの圧倒的な幸福感に包まれた。あと1回打てば、コロナで死ぬことはないんだ、と思うだけで、精神的に完全なパラダイムシフトが起きた。
ワクチン前を紀元前の状態だとすると、ワクチン後は、紀元後、いや産業革命後にワープしたような感覚だ。これは接種前にはまったく想像できなかった。60万人がコロナで死亡した国で、それだけ自分は不安だったのだと初めて気づいた。
「副反応は話し合わない」傾向がある
フリーランスの著者は、コロナにかかったら働けなくなるし、収入がなくなる。コロナにかかって入院したら、自分の入っている保険では莫大な医療費がカバーされないかも、というリアルな不安がつねにあった。「死」の恐怖より、むしろ金銭的な心配のほうが大きかった。
アメリカに国民皆健康保険があったり、コロナ医療費完全無料、救急車無料だったりしたら、また、会社員で有給ありという立場であれば、恐怖の度合いが違い、多幸感がここまで滝のように押し寄せることもなかったかもしれない。
ちなみに、ワクチンの副反応について、筆者の周囲では、親しい友人同士でもあまり語り合わないケースが多かった。「副反応はあった?」と聞くと「実は熱を出して2日寝込んだ」と渋々教えてくれることもあるが、こちらから聞くまで、話題にする人がまずいなかった。
筆者の周囲だけかもしれないが、アメリカでは自分の体調を事細かに説明し苦痛を表現する人は「whiner(ワイナー)」(少しのことでもぶつぶつ文句を言う人)と言われて軽蔑される可能性があるから、という傾向が多少あると思う。
国民皆保険がなく、勤務先の企業が社員の健康診断をすることはなく、まして社員の身体のデータを保有することはほぼありえない「個」中心の社会で、自分の体調や身体はあくまでプライバシーであり、他人とあけすけに共有する文化がそれほどない、とも言えるかもしれない。
そんな中で、今日も慎重派と自由派とが、きしみや葛藤の中で共存している。
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