五木寛之「長く深い夜には夜の生きかたがある」 再び注目「夜明けを待ちながら」著者が語る哲学

✎ 1〜 ✎ 138 ✎ 139 ✎ 140 ✎ 最新
拡大
縮小
五木寛之さんに長引くコロナ禍への心構えを聞きました(撮影:岡本大輔)
この記事の画像を見る(3枚)
ワクチン接種やオリンピック開催に向けた話題が増える今も、コロナ収束の兆しは見えず、混乱はむしろ増している。自殺者が増え、経済的な不安も消えない今と呼応するかのように静かに注目され続けているという人生相談形式のエッセイ『夜明けを待ちながら』(初版1998年)。著者の五木寛之さんに“明けない夜”の過ごし方をあらためて聞いた。

死が社会からますます遠ざけられる中で

――つい最近、<新版>が発刊された『夜明けを待ちながら』という書名は、いまの状況をぴたりと言い当てているように感じました。昨年、「東洋経済オンライン」に登場いただいたときは、「三散(さんさん)」という言葉が大きな話題を呼び(「コロナ後は三散の時代がやってくる」2020年6月17日配信)、それからおよそ1年が経ちましたが、五木さんは現在の世の中の様子をどのようにご覧になっていますか。

五木 寛之(以下、五木):夜がますます深まってきたように感じていますね。そしていっこうに夜明けの兆しが見えない。香港やミャンマー、イスラエルとパレスチナの状況など、国際情勢もどことなくきな臭くなっている感じがします。今日も新聞を見ていたら、国際緊張を高めるような、ものすごく強気の本の広告が大きく出ていた。戦前、『日米もし戦はば』なんていう本が出て、それから3、4年経って本当の戦争が始まったんです。そういったこともひっくるめて、夜はなかなか明けず、気持ちとしては落ち着かない感じですね。

――この本では、自殺や死、生きる意味について、読者の手紙にこたえるかたちで語られています。そのなかで、「今、ぼくらは、死というものの姿を直接見ることができない時代に生きていると思います」という一節が印象的でした。初版の発行は1998年ですが、コロナ禍の状況とも重なって読めます。

五木 :コロナ禍では、家族すら亡くなった人の臨終に立ち会えないばかりか、火葬場で送り出すこともできず、遺骨が返ってくるだけというケースも珍しくありません。死がどんどん遠くなっていく実感がありますね。そういうことが半年、1年と続いていくと、みんな慣れていくんです。集まらないことが当たり前になっていきますから、死はますます社会の陰に追いやられていく感じになっていくような気がする。

コロナの病棟では、見舞いもできないでしょう。だから、病んだ人、亡くなった人と現実の社会に生きている人との距離感が、どんどん広がっていくような気がします。

次ページ「泣く」「悲しむ」はマイナスなのか
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【逆転合格の作法】「日本一生徒の多い社会科講師」が語る、東大受験突破の根底条件
【逆転合格の作法】「日本一生徒の多い社会科講師」が語る、東大受験突破の根底条件
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT