死が社会からますます遠ざけられる中で
――つい最近、<新版>が発刊された『夜明けを待ちながら』という書名は、いまの状況をぴたりと言い当てているように感じました。昨年、「東洋経済オンライン」に登場いただいたときは、「三散(さんさん)」という言葉が大きな話題を呼び(「コロナ後は三散の時代がやってくる」2020年6月17日配信)、それからおよそ1年が経ちましたが、五木さんは現在の世の中の様子をどのようにご覧になっていますか。
五木 寛之(以下、五木):夜がますます深まってきたように感じていますね。そしていっこうに夜明けの兆しが見えない。香港やミャンマー、イスラエルとパレスチナの状況など、国際情勢もどことなくきな臭くなっている感じがします。今日も新聞を見ていたら、国際緊張を高めるような、ものすごく強気の本の広告が大きく出ていた。戦前、『日米もし戦はば』なんていう本が出て、それから3、4年経って本当の戦争が始まったんです。そういったこともひっくるめて、夜はなかなか明けず、気持ちとしては落ち着かない感じですね。
――この本では、自殺や死、生きる意味について、読者の手紙にこたえるかたちで語られています。そのなかで、「今、ぼくらは、死というものの姿を直接見ることができない時代に生きていると思います」という一節が印象的でした。初版の発行は1998年ですが、コロナ禍の状況とも重なって読めます。
五木 :コロナ禍では、家族すら亡くなった人の臨終に立ち会えないばかりか、火葬場で送り出すこともできず、遺骨が返ってくるだけというケースも珍しくありません。死がどんどん遠くなっていく実感がありますね。そういうことが半年、1年と続いていくと、みんな慣れていくんです。集まらないことが当たり前になっていきますから、死はますます社会の陰に追いやられていく感じになっていくような気がする。
コロナの病棟では、見舞いもできないでしょう。だから、病んだ人、亡くなった人と現実の社会に生きている人との距離感が、どんどん広がっていくような気がします。
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