五木寛之「長く深い夜には夜の生きかたがある」 再び注目「夜明けを待ちながら」著者が語る哲学

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――泣くことや悲しむことも含めて、感情を表に出しやすい人間は煙たがられやすいです。

五木 :そうだと思います。夏目漱石の『草枕』に「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。」という有名な言葉がありますね。明治のころから、私たちは流されてはまずいということで、他人の感情に気遣うことをやめようとしてきたように感じます。

明治維新以来、日本は一応、近代的な新しい社会をつくろうと、坂の上の雲をめざして離陸しました。近代的というのは合理的ということですから、情は切り捨てるしかない。私たちは情に棹さして流されることを恐れ、できるだけ情を切り捨てながら、ずっと生きてきたんです。

(撮影:岡本大輔)

でも、少し潮目が変わってきたような気もしないではない。たとえば最近、強欲資本主義への反省から「利他」の必要性を訴えるような発言が増えています。そもそも資本主義の原点とされるアダム・スミスが経済の倫理性を説いているわけですから、もう一度、原点に立ち戻ろうとしているのかもしれません。大河ドラマで渋沢栄一を取り上げているのも、資本主義には人倫や思いやりなど、情に棹さすことが必要なんだということを訴えているように見えます。

「情理かねそなえた」という言い方があって、これは利害損失を合理的に主張することと、他者の感情を尊重することの両方をできる人のことをいうんです。これまではもっぱら、「理」だけで動くことがよしとされてきたけれど、もうそれでは社会が持たない。そこで「情」というものをみんなが求めているような気がしますね。

差別感覚がこびりついている

――一方で、ネットのなかでは感情が暴発しやすい感じもします。

五木 :それは「アンコンシャス・バイアス」の問題につながっています。政治家が、ポロッと前近代的な差別発言をすると、またたく間にその情報が拡散して、大変な批判を浴びるでしょう?

政治家もふだんは警戒して、表に出さないようにしているんだけど、自分自身を含めて何かの弾みで意識の深層に巣食っている差別感がひょいと出てしまう。それを「アンコンシャス・バイアス」、無意識の偏見というんです。頭ではわかっていても、意識の深層に骨がらみになっている差別感覚がこびりついている。自分でも呆れるぐらいにね。

僕は、コロナをきっかけに、人びとの無意識の偏見や差別が露呈してきたように感じます。それはアンコンシャスな情でもあって、ステイ・ホームで鬱屈した感情が、ふとした拍子で吹き出してくるんじゃないのかな。

次ページ無意識の差別感情もあぶりだされる時代へ
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